Perspective

石化・凍結などの所謂『固め系』の話題について、アレコレ呟きながらじわりじわりと更新されるブログです。脱不定期更新を目指してSSにも現在挑戦中。

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ピュグマリオンのジレンマ(1) 愉しみは撃破の後で

「さて、と……ここら辺の魔物は粗方片付いたかしら?」
ナクリは身の丈程もある巨大な剣を軽々と振るい、叩き斬った魔物の血を勢い良く振り払う。
見渡す限りの砂漠に見えるのは、魔物と呼ばれていた者共の残骸、そして3体の石像。
彼女の他に動く物は、只の一人として見当たらなかった。

 砂漠に立つ3体の石像は、どれもが女性を象った物だった。
花崗岩を徹底的に磨き抜いた様に滑らかな線を持つ、非常に真新しい作りの石像。
灰色の一色ではあるものの、仄かにしっとりとした光沢が艶めかしい彩りを添えていた。
絶えず砂交じりの風が吹き抜ける砂漠に佇んでいるにもかかわらず、石像達は元来備えていたであろう姿を微塵も崩してはいない。
石像に違和感を覚える者がいたならば、その人物は優れた洞察力を持っていると考えて良い。
そこに佇む石像は、ヒトの手による常識的な行程を経て造られた物ではないからだ。

 モスコビー砂漠に生息する、トカゲに似た魔獣バシリスク。
あらゆる物を石と変える毒をその牙に秘め、文字通りの一撃必殺で獲物を仕留める熱砂の狩人。
ナクリの周りに立つ石像は、正にそのバシリスクの群れによって作り出された物だった。
――つまりは彼女の仲間たちの末路の姿、と言う事になる。

 自分一人を残し、仲間の全てが石像と化す。
そんな絶望的な状況の中にありながらも、ナクリの表情はどうした事か明るかった。
仲間が物言わぬ姿となった事を悲しんでいるとも、自分一人が砂漠に残された事を嘆いているようにも見えない。
それどころか鼻歌まで口ずさんでいる始末。今のナクリは、とりあえずは絶望とは無縁の様だった。

「うんうん。これはまた見事に固まったわねー、期待通りの完成度だわ」
得物の大剣を地面に突き立て、そう言うナクリの声は間違いなく弾んでいた。
剣を振りかぶった姿勢で石塊と化したクロエの尻に手を這わせ、苦しげに胸を反らした姿の像となったエステルの頬に軽く口づけをし――
そんな石像の群れが立ち並ぶ中、ナクリの足取りは軽い。
その足取りが半ばステップに近付きだした頃になって、彼女ははたと足を止めた。

「おっ、いたいた」
目の前にはやはり石像が一体。
流れるような曲線を描く髪の造形も美しい女性譜術師の像――石化したティアの姿がそこにあった。
身体を折り曲げ、深々と俯いた状態で身体を硬化させたティア。
激痛に苦しむ一瞬をそのままに固定させられた姿には、普段の冷徹さすら感じさせる毅然とした佇まいは感じられない。
 今はむしろ真逆。見るも哀れな姿の石像として、その身体を砂風に晒しているだけだった。
そんなティアを目の当たりにして、ナクリは思わず叫び声を上げる。
「……いいッ!」
力いっぱい叫んだので、思いっきり唾が飛んだ。

「やっぱりね、このメンバーでも最初に眺めるなら、それはティア一択だと思うのよ、私」
腕を組み、何度もうんうんと頷きながら、ナクリは石化しているティアを無遠慮に眺めまわす。
「最初に見た時にピピッと来たと言うかね……この娘は絶対に石化しなきゃならないって思ったのよ。ガチで」
世界樹が遣わした存在とは思えない、常軌から掛け離れた内容の台詞。
それをナクリは余りにもナチュラルに、そして幸福そうに話すのだ。

 彼女という存在――ディセンダーは通常、何も知らない状態でこの世界に産み落とされる。
それ故に恐れも不可能も知らず、ただ自分が信じる道を進み、やがて世界を危機から救う――はずなのだが。
ナクリの場合は、非常に特異なディセンダーだった。
彼女はどういう事か『美しい少女を石化させたい』という強烈な願望を抱いてこの世界に現れたのだ。
それは余りにも常識の斜め上を行きながらも、同時に純粋すぎる願望だった。
理由や理屈などと言う細かい物など、元よりナクリに在りはしない。
 初めて訪れたモスコビー砂漠でバシリスクの姿を見かけた時、ナクリは内心で歓喜に打ち震えたと言う。
この地を自分の理想郷にするのだ、と。

「そりゃ確かに他の娘だって甲乙付け難いわよ。身体の線が綺麗に浮き出たクロエのえろさは極上だし、エステルの見るからに清純派っぽい小振りな胸も捨て難い」
石と化しているが故に全く無反応なティアを尻目に、ナクリの一人演説は続いた。
仮にティアに意識が残っていたのならば、一向に石化を解除しようとしないナクリに内心で抗議の声を上げたに違いない。
完全な石の塊となり思考を手放した事は、ティアにとって不幸中の幸いだったと言える。
「何と言うのかしら、ティアは格別に私のツボを付くと言うかなんと言うか……ああっ、ぴしっと言語化できないのがもどかしいっ」
先程から彼女が延々と語っている内容を要約すると、とにかくティアはナクリの心をがっちり掴んで離さない存在らしい。
「……ま、年上好み、って事でいいか」
取りあえずは無難な結論に落ち着いた。
16歳のティアが年上なら自分は一体何歳なんだろう……という疑問も浮かばなくもなかったが。

「まずはお顔を拝見といきますか。でも……」
ティアは身体を激しく折り曲げて石化しているため、真正面からでは表情が良く見えない。
「こんなに俯いちゃって……そんなに見られたくない表情でもしてるのかしら。例えば泣いてるとか」
それはそれで琴線に触れる者があると思いつつ、ナクリは更に半歩ティアに近づいて中腰の姿勢を取った。
体勢を低くし、顔をティアの胸辺りに近付け、真下から彼女の表情をまじまじと伺う。
石像と化しているティアは、当然抗議の声の一つも挙げずにその行為を静かに受け入れた。

――そして、時間の経つ事およそ5分。沈黙はやはりナクリによって破られた。
「うん……うん。うんうんうんうんッ!」
首を何度も何度も縦に振り、湧き上がる昂りを全身で表現する。
汗が滲むまでに握り締めた両拳は、余りの喜びに小刻みに震えていた。
「レベル高い娘はやっぱり固まり方も半端無いわー、意識せずにここまでツボを凝縮された石像になるなんて……これはもう神に愛された才能と言わざるを得ない!」
まくし立てるように感想を述べたナクリは、込み上げてきた唾をゴクリと飲み込むと。

「さて、ここからはじっくりと眺めて行くわよ……ッ!!」
あくまで冷静な目で石像を眺めるべく軽く深呼吸をし、まずは普段から見慣れている左目の方を見る。
――凛とした眼差しがそこにはあった。
石と化したティアの瞳は、単なる凹凸に成り下がってはいても尚厳しい視線をこちらに向けているような錯覚をナクリに与える。
ティアをよく知る彼女ですら、一瞬気押されてしまいそうな視線。
その瞳から受ける印象は、哀れな体勢とは裏腹に普段のティアと何ら変わりは無かった。
「バシリスクを石化する直前まで睨んでいたのかしらね。ここら辺は見た目通りの凛とした印象だわ。だけど――」

顔を真横に並行移動し、前髪に隠れた右目の前に持ってくる。
普段は前髪に隠れてあまり良くは見る事が出来ない右目も、前髪の一本一本が石と化した今ならば隙間から確認する事も可能だ。
髪の隙間から見えるティアの右眼は、事更に固く閉じられていた。
深く皺を刻みこんだ目元が訴えかけていたのは、恐らくは恐怖の感情。16歳の少女として、ごくごく当たり前の反応だった。
 仮にナクリが平常心を持ってティアを眺めていたのなら、そこに石化した涙を見つける事が出来たのかも知れなかったが。
「……くーッ、これこれこれッ!私が見たかったのはこの表情よッ! 普段はツンツンしてるってのに、ある時チラリと見せるこの儚さ健気さ意地らしさッ! これ、これこそがティアの真髄なのよッ!」
――石化したティアを前に欣喜雀躍する彼女には、到底無理な話だった。

「……ふぅ」
更にそれから時間は経過した。
砂漠の風はナクリがティアの石像を前に狂喜している間も容赦なく吹き続け、彼女がいる場所にも相応の量の砂を撒き散らしていた。
ふと視界に入った石化したクロエとエステル。
身体に砂が堆積し始めるまでに放置していた事に気づき、どうやらナクリも少しばかり頭が冷えたらしい。
「これ以上この二人を放っておくのも流石に気が引けるわよね……仲間には違いない訳だし」
捻じれた願望こそ持ち合わせてはいるが、ディセンダーとしての最低限の良心は残っていたようだ。
「そろそろ引き上げ時かなー。本当なら石化したままお持ち帰りしたい所なのだけど……またあのチビッ子キャプテンの心証を害しそうだし」
三体の石像を連れてバンエルティア号に戻った自分に「事情を説明して下さいッ!」とまくし立てる幼い指導者の姿を思い浮かべ、ナクリは苦笑した。

 腰に提げた道具袋からキュアボトルを三本取り出す。
これを一振りすれば、ティア達は石から生身の姿へと戻る。後は適当に状況を説明して帰還すればいい。
だがナクリは、もう一度ティアの姿を頭から爪先まで眺めると、努めて冷静に呟いた。
「最後に、これだけはやっておかないとね」
ナクリの視線は、ティアの身体の一点に集中された。
「長い髪にそこはかとなくボディラインを強調した服。でもティア最大のツボは、やはりこれを置いて他には無い――ッ!」
胸。
美麗な形状と抜群の存在感。その二つを見事に両立している稀有な胸。
アドリビトム内で密かに『メロン』という称号で讃えられていた極上の胸。
今この瞬間に限り、それをナクリは自由にできるのだ。加えて微動だにしないティアの姿は、まるで自分を待っているようにも見えた。
だから、ナクリは――迷いなど微塵も感じさせない猛ダッシュで、石の胸へと飛び込んだ。
冷たい石として硬化しているはずの胸は、しかしながら不思議な暖かさと心地良さをナクリに感じさせて。

 砂漠の太陽は、未だ高く空にある。
ディセンダーの愉しみは、もう少しの間続きそうだった。

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  1. 2000/01/01(土) 07:00:00|
  2. 創作
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ピュグマリオンのジレンマ(2) 砂塵の中の石像群

渓谷に囲われた荒涼の地に、砂交じりの風が吹く。
数多存在する世界の砂漠がそうであるように、グラニデ西部に広がるこの地、モスコビー砂漠も昼と夜とではその顔を異にする。
熱砂に覆い尽くされた砂漠は、夜の訪れと共に寒冷の地へと姿を変え、熱気と冷気が代わる代わるに訪問者を苛むのだ。
同時にそこは、人間すら自らの滋養として貪ろうとする多肉植物や、発狂した低級の小精霊らが跋扈する砂の魔境。
魔物に抗う力を持たない旅人はおろか、熟達の冒険者であっても危険な場所でもあった。

その過酷な地を、一人の少女が進んでいた。
小柄な身体を水兵を思わせる服装に包んだ少女。その顔立ちには、体形に相応しく幼さが多分に残されている。
リボンで結った髪が歩く度にぴょこぴょこと、頭の天辺で愛らしく揺れていた。
だが、その愛らしさに反して彼女の歩みは力強い物でもあった。
足元の砂を一歩、また一歩と踏みしめる姿からは、力強さこそあれ疲弊した様子など微塵も感じさせない。
熱や冷気を孕んだ風が身体を打ち付けても、ただ前だけを確かに見据え、少女は一人砂漠を進む。

 少女は一振りの剣を携えていた。
刀身に青い輝きを湛えた両刃の剣。柄に当たる部分には、鳥の翼を彷彿とさせる装飾が施されている。
壮麗な造りの剣だった。無骨な戦士が握るよりも、それは確かに彼女の様な可憐な少女にこそ相応しいと言えよう。
だが、驚くべきはその剣の寸法――それは、少女の身の丈程もあった。
確かに少女は小柄ではある。だが、人一人の身の丈に匹敵する剣から放たれる斬撃の破壊力が如何ほどの物か――それは最早、語るべくもないだろう。
少女が護身用に持つ物にしては、それは余りにも巨大すぎる代物だった。

筋骨隆々の巨漢の戦士のように、軽々と肩に担ぐという事は流石に出来ないようで、両手剣は地面に引きずりながらの持ち運びではある。
だが、剣が砂漠に刻んできた軌跡には一切のブレは見当たらなかった。
渓谷で分断された砂漠を、まるでペンで線を結ぶかの様に伸びて行く剣の軌跡。
そこに横たわる数多の魔物の残骸が、彼女がその剣を自在に操る使い手である事を言葉無く物語っていた。
剣を構成する物質が極めて軽量なのか、あるいは彼女の卓越した身体能力が為せる業か――
一つ確かな物を挙げるとすれば、図らずとも彼女が剣で刻んだ道程は、そのまま彼女の揺るぎない意思を表しているという事。
熱砂も夜の冷気も、そして砂漠の魔物どもですら、彼女にとっては何の妨げにもならなかった事だろう。

ただ、少女――カノンノの眼差しには、少なからず不安の色が浮かんでいた。
彼女が単身でこの地を訪れた理由。それは希少材質の採集でも魔物の討伐でもない。
「ナクリ、みんな……無事でいて……!」
意図せず、口から一人の女性の名前が漏れる。
そのナクリなる女性こそ、世界樹が生み出した救世主・ディセンダーであり、そしてカノンノが探す人物でもあった。
ナクリと彼女の同行者。合計4名がこの地、モスコビー砂漠で消息を絶ったのだ。

事の起こりは簡単な依頼だった。
モスコビー砂漠でアクアマリンの原石を採掘して持ち帰る、ただそれだけの事。
人が気安く足を踏み入れる場所でない為か、モスコビー砂漠でアクアマリンを見つける事は非常に容易い。
それらしい場所をマトックで掘り出せば、実に高い確率で原石が掘り出せるのだ。
加えて現地に向かうのは、アドリビトムが誇るいずれ劣らぬ精鋭揃い。仮に魔物と遭遇しようが、さしたる危険も無く排除できる。
出発は正午前だった。4人で手分けして当たれば、物の数刻で用は済むはず。
夕食の時間までには依頼を終えて戻って来る。そうカノンノは考えていた。
むしろ、楽観していた。

――甘かった。如何なる場合にも『絶対』という物は無い。
その事に気付いた途端、カノンノは愛用の両手剣を取り出し、ギルドの移動拠点バンエルティアを飛び出した。
無断外出は厳罰の対象。これは彼女が所属するギルドの掟の一つだ。
勿論カノンノもその事は重々承知していたが、胸の底から湧き上がる焦燥を抑えきる事は出来なかった。
誰もが想定に含めていなかった最悪の事態が、現在進行形で起きているかも知れないからだ。
既に空には、夜の帳が下りていた。

これが見間違えである筈は無い。
カノンノの目の前に立っている人物は、背恰好や服装、容姿に至るまでティアと完全に特徴が合致している。
断言できる。これは間違い無くティアその人なのだ。
それなのにどうして、こんなにも違和感と、そして不安を感じてしまうのだろうか――
「ティア……?」
ティアの名前を呼ぶが、彼女からの返事は無い。
それでも砂漠の風に声が掻き消されないよう、十分に距離を詰めての呼びかけだ。声は間違いなくティアに届いているはず。
決して口数が多い訳では無いティアだが、全くの不愛想という訳でもない。
カノンノの正面からの呼びかけを無視してしまう等という事は考えられなかった。

更に一歩、ティアに近づいてみる。砂を踏みしめる音が、奇妙なまでにカノンノには大きく聞こえた。
それでもティアは姿勢を変えようとはしない。ただ、視線を地面に落とし続けているだけだ。
彼女は身体を激しく折り曲げ、全身で苦痛を訴えるような姿でその場に立ち続けていた。
彼女の口からは苦悶の声は一つも聞こえてこない。それどころか、呼吸音の一つすら今のティアは立てていない。
――ティアは、確かに目の前にいる。
だがそれは、カノンノが知る毅然としたティアではない。
「う、嘘……」
儚げに身体を折り曲げる所作。そして何よりも印象を異にするのは、頭から爪先まで寸分の隙無く灰色の一色に染め上げられた身体。
灰色のティアはカノンノの声などまるで聞こえないかのように、同じ姿勢のまま硬直していた。
「これって……!」
ティアの身に一体何が起きているのか、それを言葉にするのには僅かな躊躇いがあった。
もしそれを声に出せば、この異常な現実を認めてしまう事になるのではないか。
だが、胸の奥底から湧きあがる不安が、その言葉を喉元へ押し上げる。
自然と、声は出た。
「……石化、しているの?」
石化。読んで字の如く、身体が石の如く硬化する超自然的現象。
変化は身体のみならず衣服や装備品にも及び、石化の影響を受けた被害者は一つのオブジェとしてその姿を晒し続ける事になる。
全身が硬化している為に呼吸は完全に止まり、当然の事ながら声を出す事など叶わない。
ティアの無反応も、石化しているのであればむしろ当然の事だ。

カノンノは物心が付いた時から今に至るまで、膨大な知識をニアタから享受している。
その為に石化という現象自体がどういう物なのかは、カノンノも知識の上では良く知っているつもりだった。
だが、生身の人間が石化した姿を直接目の当たりにするのは、今回が初めての事になる。
加えて、それが仲間の身に起きようとは――

おずおずとティアの細い肩に手を置いてみる。
「……やっぱり、硬い……」
石の塊と化した身体は、本来彼女が持ち合わせている柔らかみを一切カノンノに伝えなかった。
人肌の温もりを感じさせない冷やかさは、砂漠の夜の冷気がティアの身体に染み渡っているかのようだ。
「……ッ……!」
瞬間的に、言い様の無い悪寒がカノンノの背筋を伝った。
硬く冷たく、そして一切の生命活動を停止した身体。極端に言えば、それは死体も同然なのだ。
目の前にいるティアは、つまりは生きたまま死んでいる。
石化を解かれる事が無い限り、彼女はここで石の亡骸を晒し続ける。
死に対する根源的な恐れ。石と化したティアの身体は、意図せずしてカノンノにそれを意識させたのだ。

湧きあがる恐怖、そして仲間をその恐怖の対象と感じてしまった事に対する罪悪感。
それらの感情から逃げるように、カノンノは視線をティアから外した。
「……?」
視線の先――ティアの背後、サボテンが立ち並ぶ場所に人影が一つ、紛れるように佇んでいた。
それもティアと同じだ。先程からまるで微動だにしていない。意識しなければ、砂漠が生み出した自然のオブジェと見間違えていたかも知れない。
「あ、あれは……!」
カノンノにとって、それは見覚えのあるシルエットだった。
「そんな、まさか……!」
掌に汗が滲み出るのが解る。ゴクリと唾を飲み込む音が、頭の中でやけに無機質に鳴り響く。
カノンノの指先は、知らず知らずのうちに小刻みに震えていた。
――ふと眼をやると、何故かティアがカノンノに大きく寄り掛って来ていた。
肩に置いている手が震えていた為に、石と化したティアの身体はそれに呼応するようにガクガクと大きく揺れていたのだ。
「……いけない!」
慌てて手を離すと、ティアの身体は数秒ほど前後に揺れるも、やがて本来のバランスを取り戻してその場に落ち着いた。
ティアの豊満な――多大な羨望の眼差しで見つめられる胸は、石と化した場合に於いては随分と重心のバランスを危うくしてしまうらしい。
カノンノがここに訪れるまでの間、石化したティアが砂漠に横倒しにならなかったのは、彼女の体勢が奇跡的なバランスを生み出していたからなのか――
「ごめんね、ティア。すぐに戻るから」
カノンノは小さな手をきゅっと握り締めて震えを抑え込むと、そう告げてティアの傍を離れた。

肩辺りで綺麗に揃えられた髪。ゆったりとした柔らかいラインを描くジャケット――
本来の輝きを完全に失ったレイピアとバックラーを目にして確信する。
ティアの肩越しに見えた人影は、やはりカノンノの知る人物の一人だった。
「エス、テル……」
ここでも同様に返事は無い。カノンノの声だけが砂漠に虚しく消えて行く。
エステルもやはりカノンノの呼びかけに応える事は無く、ただ静かに空を仰ぎ見ているだけだった。

爪先立ちで背伸びをし、カノンノはエステルの顔を覗き込む。
元より大きな瞳が、事更に大きく見開かれていた。
だがその瞳は、モスコビー砂漠の空はおろか、すぐ前にあるはずのカノンノの顔すら映し出してはいない。
あるのは灰色の一色のみ。ティアと同様に虚ろな色しか湛えられていなかった。
いつも優しげな笑みを浮かべていた、例えるならば春の日溜まりを彷彿とさせる少女。
――カノンノも、本を読むの……好きなんです?
バンエルティアの甲板でいつもの様に絵本を読んでいた時、そう嬉しそうに声を掛けてきたエステルの様子は今でも鮮明に思い出せる。
身分を隠して旅に出た、どこかの国の皇女様らしい――そんな噂が流れるのも納得できる、たおやかで優しい笑顔だった。
だが、その面影も今は無い。恐怖や苦痛といった物に歪められたまま、エステルは表情を凍り付かせている。

「……そん、な……」
目眩がする。まるで、頭の中で晩鐘が打ち鳴らされているかの様だ。
片や古来より伝えられる譜歌、片や騎士のそれを彷彿とさせる剣技。
ティアもエステルも、ベクトルこそ違えどアドリビトムが誇る一線級の使い手だ。
砂漠を徘徊する魔物風情に後れを取るなど、決して考えられなかった。
そして何よりも、二人は共通して癒しの術技に長けているのだ。
その二人が石像と化した身体を晒していると言う事は、つまり――
足の力が急速に抜ける。視界はぐにゃぐにゃと歪む。
耐え難いまでの不快な感覚に打ちのめされる余り、カノンノは地面に座り込んだ。
急激に冷え込む砂漠の夜だというのが嘘のように、額から嫌な汗が止め処なく零れ落ちていた。

ふらりとよろめいた背中に、何か硬い物が触れた。
――まさか。
もう立ち上がるだけの力は出てこなかった。上半身だけを捩じり、背中に触れた物の正体を見る。
そこに在ったのはクロエの像。石化しているクロエの脚が、カノンノの背に触れたのだ。
ティアの傍からは、石化したエステルの陰に隠れて見えなかったのだろうか。

両腕を大きく振り上げ、正に愛用の剣での一閃を放とうとした姿のまま、やはりクロエも停止している。
恐らく彼女は、自分が石になった事すら気付かなかったに違いない。
只の彫像の凹凸に成り下がった瞳は、斬るべき魔物が既にその場から去っているにも関わらず足元を睨みつけている。
凛々しく眉を吊り上げた表情は、たとえ石と化していても勇壮な物には違いなかった。
そういう意味では、クロエは彼女らしさを損なわずに石と化したと言えるのだが、その凛々しさが逆に痛々しくカノンノには思える。
「…………」
カノンノに言葉は無い。ただ、微動だにしないクロエの姿を静かに、それでいながら悲しげに見上げている。
ティアとエステル。石像と化した二人を目の当たりにした時点で、この光景にも覚悟はできていた。
癒しの術技にも長けた二人が石にされていると言う事は、それだけ前衛の生き残る可能性が落ちると言う事を意味しているのだから。

「みんな、石に……石に、なっちゃったんだ……」
涙交じりの声で、ようやくそれだけを呟いた。
整理される事無く頭の中を掻き乱す残酷な現実は、口に出すと実に僅かな言葉で言い表す事が出来てしまう。
未だ安否が直接確認できていないのは、ディセンダー・ナクリのただ一人。
だが、彼女が無事でいる可能性は極めて低い。それはティア達三人の石像が語らずとも証明してしまってくれている。
カノンノにできる事と言えば、一刻も早くナクリを見つけ出し、石化された身体を元に戻す事。それしか残されていない。
「……でも」
カバンを開け、中からカノンノは薬瓶を取り出した。その数は15個。個人で持ち運べるギリギリの量だ。
「これで、これで皆は元に戻るんだよ……ね?」
石化解除自体は、グラニデに流通する薬品・キュアボトルさえあれば、そう難しい物ではないと言われている。
カノンノ自身も万一に備えてキュアボトルは携行していた。
仮に消息を絶ったパーティ4人が全て石化されていたとしても、理屈の上では手持ちのキュアボトルで容易に石化を解く事が出来るはず。
普通に考えれば、悲観する要素など何一つ見当たらないのだが。

「……本当に? 本当にこれで大丈夫、なの……?」
だが、現実はどうだろうか。逡巡したカノンノは、無意識に疑問を口にしていた。
石化された三人の身体には、個人差こそあれ大小の幾つもの亀裂が走っている。
亀裂まで走ってしまった以上、既にティア達の身体は完全に石その物と化してしまったのではないか。そんな考えが、カノンノの頭を渦巻いていた。
既に薬品程度では解除不能な状態まで石化が進行している、という可能性も決して否定が出来ないのだ。
「もしも、もしも……これでダメ、だったら……!」
キュアボトルを使っても、石のままで居続けるティア達の姿を想像し、カノンノは慄然とした。
そもそも石化とは超自然的な現象だ。
それに対して薬品を用意した位で絶対の安心に浸るなど、所詮はヒトの驕りに過ぎないのかも知れないのではないか――

「胸と来たなら、次は尻ッ!」
何の前触れもなく、そして余りにも唐突。夜のモスコビー砂漠に、やたらと機嫌の良い声が聞こえた。
カノンノが石化がもたらす絶望に心折れそうになっているという状況に於いて、その声は余りにもテンションが高過ぎた。
「……は?」
――要するに、雰囲気ブチ壊し。
その声は、奇妙な事にクロエの居る方向から聞こえてきた。
クロエが発した声では無い事は当たり前のように解る。
彼女の身体は口まで石の塊と化しており、既に声を出す機能は失われているからだ。
ならば声の主は誰なのか。少なくとも、カノンノにとってはこれまで聞いた事の無いタイプの声だった。
「聞いたことの無い声……ううん、でも何だか聞き覚えが無くも無いような気も……」
状況が掴めないままカノンノはじわりと立ち上がると、声の聞こえた方向に向かった。
立つ力を失ったはずの脚は、余りの突拍子も無い事態にその事を忘れた様だった。

果たしてカノンノが探し求めるナクリはそこにいた。
何故、彼女がいる事に今まで気が付かなかったのか。あるいは、目の前にいる存在と彼女がカノンノにとっては一致しなかったか。
「いやぁ、なんでまたこんな絶品ネタを見過ごそうとしてたのかしらねー。うっかり早まって石化を解く所だったわ。危ない危ない」
クロエの尻に頬をじわりと擦りつけ、これ以上無い恍惚の表情を浮かべて。
「ナク、リ……!?」
カノンノはただ、常識の斜め上を行く姿を晒すナクリを呆然と見るより他に無かった。
夜風が一段と冷たさを増したような気がした。

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ピュグマリオンのジレンマ(3) 悪い風だぜ大砂漠

――そして、砂漠の夜は明けた。
太陽は再び姿を現し、夜間に満ちた冷気を灼熱の日差しで打ち払う。
「一体、二体、三体……」
視界が自然と歪むこの炎天下、ナクリが目の前に立ち並ぶモノをカウントするのは、これで何度目の事になるだろうか。
彼女の長い睫毛には汗が球の様に乗っかっていたが、そんな事に気を払う事無く、彼女はそれらを一体一体、ゆっくりと指差しながら数える。
「……四体」
四体。ナクリの視界には、石像が四体存在した。
何度数えようが結果に変わりは無い。ある筈が無い。
これは文字通りの動かざる事実だ。

石像のバリエーションは多岐に渡る。他ならぬナクリ自身がそうなるようにセッティングした。
譜術師、女騎士、そして某国の姫君――ここまでは良い。全て計画通りだ。
ナクリがこの地モスコビー砂漠を訪れたのは、これらの石像を造り上げ、そして誰にも妨げられる事無く鑑賞したいが為だ。
そして現実に、彼女のそんな願望は見事に叶った。
譜術師の豊満な乳房に顔を埋め、女騎士の張りのある尻を撫で回し、某国の姫君の小さな唇にむしゃぶり付いた。
ただ単に眺めるだけでなく、それら彫像の石で造られた身体を考え得る限りの方法で堪能した訳だ。
更に言えば、相手は石の塊。
これらナクリの貪るような行為をどれだけ受けようと、抵抗などする筈も無い。
当初は半日程度で切り上げる予定だったが、何しろ石像の身体を思う存分貪り放題。
右肩上がりのテンションは収まる所を知らず、結果的に徹夜で石像を遊び倒す事になった。
客観的に見て、ナクリは彼女自身の掲げた目的を、これ以上無い程に成し遂げたと言えよう。

「……おかしい……」
だが、最後の一体。
ナクリのすぐ目の前に在る石像。
他の三体の石像よりも一回り幼い風貌をした、可憐な少女を象った石像。
生身の女性は元より『石像と化した女性』に対して尋常ならざる性的興奮を覚える。それがナクリという存在だ。
動作の一瞬を切り取られたかのように停止した姿、女性本来の柔らかさを線に残したまま硬化した身体……その全てが彼女にとって愛おしい物。
惜しみなく情愛を注ぐべき対象だった。
だがその石像に関しては、どれだけ眺めてもナクリには色欲の類は湧きあがっては来なかった。
それどころか、逆に思考が加速度的に混乱する始末。
「……えーと、何が、一体、どうしてこうなった……?」
尻餅をついた様な、ひどく不格好な体勢の石像だった。
はち切れんばかりに眼を見開き、まるで助けを請うように左手をナクリの方向に向かって伸ばしている。
石像は左手首に小さなポーチを付けていた。
小動物に似た姿の亜種族をあしらった愛らしいデザインのポーチだ。
「このポーチって、やっぱり、その、アレよね……?」
ポーチから何故か目を逸らすように、石像の背後に視線を移す。そこには、やはり石で造られた大剣が置かれていた。
互いの位置がそう離れていない所を見ると、大剣も石像を構成する要素だと考えていいだろう。
そんな石像を見れば見るほどに溢れ出るのは、色欲では無く冷や汗だった。

凪いだ海原を思わせるフラットな造形の胸には、確かに心を惹かれる物はある。
ダイナミックな曲線を描く胸も好物ではあるが、だからと言ってナクリはそればかりを追求する訳ではない。
フラットな胸にはフラットな胸の、ダイナミックな胸にはダイナミックな胸の。
それぞれの胸を石化させた際の醍醐味を、彼女は誰よりも良く知っていた。
目の前にあるようなフラットな胸に関して言えば、石化させたまま激しく揉みしだくのがナクリからすれば『通』らしい。
それもただ無闇矢鱈に揉みしだくのではない。一定の手順がある。
微かな起伏にそっと置いた手をしばらく這わせる事で精神――フェティシズムな欲望を徐々に高揚させて行き、それが頂点にまで達した所で一気に解放。
解き放った想いをぶつける様に全力で、かつ遠慮無用に揉みしだく。
この静から動へと転じる際のカタルシスが堪らないのだ、と。

だが、今回に限ってはそんな気分にはなれなかった。
理由は大きく二つある。
第四の石像は、ナクリにとって余りにも近しい人物が象られた物だからだ。
精巧という言葉ですら不適切に感じられる程の、次元違いの完成度を誇る石像。
既に石から複製した人間の身体と言っても差支えが無い。
それ程までの石像を作り出す方法は、この世界に於いてただ一つ――生きた女性を石化させる以外にはあり得ない。
そして、このモスコビー砂漠において能動的に、あるいは恣意的にそれを行えるのはナクリただ一人だった。
だからこそ、彼女は疑問に思う。
「なんで、カノンノまで石になってるんだっけ……?」
一人疑問を漏らすナクリの声は、彼女が普段アドリビトムで話す時の声色とはまるで違う、どこか間の抜けた声色をしていた。
そんな彼女の問いに答える物は誰もいなかった。
周りには石像しかないのだから当たり前だが。

モスコビー砂漠が現場になるクエストを受諾し、そこら辺を徘徊しているバシリスクと遭遇。
バシリスクを活かさず殺さず、かつ首尾よく誘導し、ナクリに同行していた三人の女性を一人残さず石化してもらう。
その後バシリスクに内心詫びを入れつつ排除。邪魔者が消えた所で石化した三人を存分に堪能し、適当に堪能した所で元の姿に戻す。
そして適当に辻褄を合せ、何事も無かったかのようにアドリビトムに帰還する――当初の計画はこうだった。
対策にも抜かりは無い。
ナクリは既にバシリスク程度では相手にならない剣豪であったし、万が一バシリスクの毒牙を受けた時にも備えて、ストーンチェックも装備した。
当然ストーンチェックの数は、彼女が身に付けた物の一つだけだ。4人分なんて用意する訳がない。
他のメンバーが石化防止対策でもしようものなら目も当てられないからだ。
誰にも怪しまれずにバシリスクを誘導する自信もあった。
だから、計画が上手く進めばナクリは三体の石像を楽しめる事になっていたし、事実として計画は問題なく進み、しかし石像は実際には四体完成しており、最後の一体はカノンノで、ナクリにはその理由が解らなく――
こんな具合で、彼女の思考は延々とループしていた。

「いや……落ち着きなさい、私。冷静に、そう、あくまで冷静に記憶を辿るのよ……」
両目を閉じて一息、呼吸を整える。
誰に言われるでもなく左手を胸に当てた。
これよりナクリがするべき事は、なぜカノンノまでもが石化しているのか。
その瞬間の記憶を、細大漏らさず蘇らせる事にある。
それには何よりも、平常心である事が求められる。心が波立った状態では、正確に記憶を呼び起こすなど到底出来る筈もない。
心を落ち着ける何かが、今のナクリには必要だった。
幸いな事に、それはナクリのすぐ側にある。

「それでは、もう一度拝借……っと」
そういう訳で、ナクリは特にする事が無かった右手を、手近にあった女騎士の像――石化しているクロエの尻に置く事にした。
比較的小ぶりでありながら、それでいて女性らしい丸みを確かに併せ持つ尻。
きゅっと引き締まった形状が堪らない、言わばナクリにとっての理想の尻。
「……うん、良い。落ち着く」
石と化した彼女の身体には、微かに夜の冷気が残っているようで、絶妙な形状と相まって手に心地良い感覚を伝えてくれる。
そこに手を置くだけで、先程までの緊張が緩やかにほぐれて行くようだ。
「何と言うのかしらね、クロエの尻が描くアールが手にフィットすると言うか……馴染む、実に馴染む」
真に優れた造形美は、ただ見るだけでは真価は決して伝わらない。自らの手で直に触れて堪能すべきだ。
ナクリは一人、心の中で持論を呟いた。

「……でもあれね。冷静に過去を思い出すには、もう少し潤いみたいな物が欲しいかしら」
そう呟くと、ナクリは右手を尻に置いたまま、クロエの顔をまじまじと眺めてみる。
「ふむ……これは」
手負いのバシリスクに止めの一撃を与えようと、剣を振り上げた姿のまま石と化しているクロエ。
自然とその表情は険しく、そして凛とした物になる。
「いや本当、良い表情見せてくれるわよねぇ……」
程度の違いこそあれ、苦痛と恐怖に表情を曇らせて石像になったティアとエステルを見ているだけに、クロエは絶妙なアクセントになっていた。
石像が一様に似た表情を浮かべているのも統一感が感じられて良いのだが、こういう変化があるとやはり見た目的にも楽しい。

――お前は何処を触っているんだ!? 即刻この手を離さないかッ!
「……普通なら、こんな感じの事を言いたくなるんでしょうねぇ、クロエぐらいになると」
石となっても鋭い眼光を感じさせる精悍な表情。
尻を揉みながらそれを眺めていると、まるでクロエにお叱りを受けているような気分が楽しめる。
身持ちの硬いクロエの事だ。きっと火が点いたように顔を赤らめながら、激しくこちらを怒鳴りつけてくるに違いない。
いかにも騎士らしい毅然とした立ち居振る舞いと、ウブな少女その物なリアクション。
この解りやすいまでのギャップがクロエの魅力なのだと、ナクリは常日頃から思う。

だが石化している以上、彼女は何のリアクションも返す事が出来ない。
鋭い眼光を残す瞳は確かに凄みやら気迫やらを感じさせる物ではあるが、その視線は今や何処に向けられている物でも無い。
虚空を見据えたまま、ただ尻を揉まれるに任せるだけ。されるがままだ。
「全くもってナイス無反応。この基本を忘れちゃいけないわよね、本当に」
石化した女性を鑑賞する上でのナクリ的なツボ。
それを再認識するという作業は、少なからず彼女の心を落ち着けたようだ。
「……明鏡止水の心境って言うのかしらね、これ」
悟った様な事を言ってみたりする。
取りあえずの所は、そんなレベルまで落ち着いたらしい。

何度か尻の上で手を滑らせている内に、ナクリはふと何かに気付いた。
「……尻だ」
そう、尻なのだ。
あの時――記憶が混乱する前も、自分はこうして石化したクロエの尻を弄っていた。
どれだけ頭が混乱しようとも、身体はその時の事を克明に覚えている。
記憶を辿るべく心を落ち着かせようとしていた訳だが、実を言えば選択肢は他にも有った。
混乱の元になったカノンノの像は除外するとしても、ティアとエステルの両名も石像と化してすぐ近くに佇んでいる。
心を落ち着かせるだけならば、その二人の石像を弄っていても良かった。だが、それでは記憶を辿るには至らない。
ナクリがクロエを選んだのは、恐らく偶然ではない。
彼女は本能的にクロエを――もとい、クロエの尻を求めたのだ。

「いや……待て待て待て」
記憶の糸口は掴めた。だが、何かが少し違う。
確かにあの時もクロエの尻は間近にあった。それは確かだが、どうも違和感を覚えてしまうのだ。
「違う。私とクロエのポジション、位置関係……そこが違うんだわ」
カノンノが石化した瞬間を思い出す為の最後の一手。
それが当時のナクリとクロエの位置関係――有体に言えば、クロエをどういう形で弄っていたかを思い出す。
そこさえ再現できれば、間違いなく当時の事を思い出せる。
そう、ナクリは確信した。

人差し指で突っついてみる。
「違う。これじゃ子供のお遊びじゃないの。クロエみたいな上玉を前に、この私がそんなので満足するなんてあり得ない。生ぬる過ぎ」
尻を軽くノックしてみた。小気味の良い音が砂漠に響く。
「これも違う。まだ子供のお遊びの域を脱し切れてない。こういうのは最初の2分間で済ませておくべき。夜まで延々と続ける事じゃない」
今度はペチペチと、尻を平手で叩いてみた。
「……何それ、スパンキング?私の趣味じゃないわよ……却下」
しばらくの間クロエの尻を一通り手で弄ってみたが、どれもピンと来る物ではなかった。
――やはり、思い違いがあったのだろうか。
弄っていたのは尻ではなかったのか。それともクロエ以外の誰かを弄っていたのか……?
「いや、あの時目の前にいたのはクロエに間違い無い。ディセンダーである私が、他ならぬ私自身を信じられなくてどうするっての……!」
変な所でディセンダーとしての矜持を思い出し、ふと頭をよぎった疑問を振り払う。
そもそも手当たり次第に石像を弄った所で何かが変わるとは思えない。ここはクロエの像に絞って考えるべきだろう。
「うーん……だとすると……こうか、こうなのかッ?」
それならばと、ナクリは頬をクロエの尻に密着させた。
その姿勢を維持したまま、身体をゆっくりと上下に往復させてクロエの尻の上で頬を滑らせる。
つまり、尻に頬擦りする体勢に持ち込んだ。

――電流が走った。
「……ッ!?」
カノンノの石化した姿を見た事による混乱。クロエの身体を弄る事で湧きあがる色欲。
それらが混じり合い程好く思考がカオスな状態になっていたナクリの脳内に、強烈な何かが駆け巡った。
視覚、聴覚を始めとした五感が生み出すイメージの奔流。爆発的な速度で組み上げられる記憶の塊――
「これよ、この感覚に間違い無いわ……!」
カノンノが石像と化してしまう、ほんの直前まで味わっていた感覚は。
更に克明に記憶を蘇らせようと、ナクリは頬をクロエの尻に殊更に強く押し付けた。
「……そうよ、思い出して来たわ。あの時も私はこうして……」
頬をクロエの尻に押し当てたまま、ナクリは静かに目を閉じる。
あの時と言うのは昨夜の事。
そう、星が普段よりもずっとはっきり見えた夜の事――
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  1. 2000/01/01(土) 05:00:00|
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ピュグマリオンのジレンマ(4) 狂乱の夜を振り返れ

今から思えば、どうしてこんな簡単な事に気が付かなかったのだろうか。
石化しているクロエの尻に頬を押し付けること数十分、ナクリは自問を繰り返した。
数時間程度で終わるはずのクエストから、丸一日近く自分が帰って来なかったとして。
他の誰よりも自分を慕ってくれるあの子――今はナクリのすぐ傍で、やはり石化しているカノンノがどう思うか。
そんな単純な事に、どうして思考が行き当らなかったのか。
ナクリの回想は静かに続く。

――見間違えであってくれたら。
ティア達がことごとく石化され、砂漠が生み出したオブジェの如く佇む。
そんな光景を目にした時、カノンノは痛切にそう思った。
アドリビトムと言う共同体で暮らす仲間が、物言わぬ石の塊へと姿を変えられている訳だ。
15という彼女の年齢からすれば、そういう思いを抱くのも無理は無い。
ありのまま事実として受けとめるには、カノンノが直面した『石化』という現象は余りにも常軌を逸している。

だがこの地、モスコビー砂漠がいかなる土地であるかを考えれば、それは可能性が0と断言出来ない事でもある。
魔物同然の凶暴性を備えた小精霊、動物の血肉を喰らうべくして進化した多肉植物。
それに加えて生物を石化させる毒牙を持つ魔獣・バシリスクまでもが共生関係を形成しているのだ。
更にモスコビー砂漠は、無数の巨大な岩で隔てられた渓谷でもある。
必然的に行動範囲は制限される。魔獣共と遭遇する場所によっては、全く逃げ場が無いという事だって十分に考えられるのだ。
物事に絶対は無い。
如何にティア達が一線級の使い手だったとしても、地の利を本能的に把握する魔獣共の波状攻撃に晒されたのだとしたら――
ほんの数分前まで激しく混乱していたはずのカノンノだったが、彼女は自分でも不思議なぐらいに事実を整理できていた。
ティア、エステル、クロエ。
彼女たち三人が石化された事は、確かに簡単には受け入れたくない。
石化と言う現象がどれだけ恐ろしく、そして心を抉りつける事であるか。
ティア達の姿を見て嫌と言うほどに思い知った。温もりを失った石の身体。それは屍も同じなのだと。
だが、それは誰もが行き当たる事でもある。
もちろん個人差はあるだろうが、時間さえ掛ければいつかはその結論に辿り着く。
石化とは恐怖の対象である。その事実は普遍的な物なのだから。

翻って、カノンノが晒されている現状はどうだろうか。
物言わぬ姿と変わり果てた仲間達の姿。
苦悶する者、恐怖する者。そして果敢に立ち向かおうとした者。
その全てが等しく石の彫像と化した光景。
擬似的だとは言え、カノンノに『死』を想起させた恐ろしくも悲しい光景。
「ある意味、まぁある意味の話なんだけどね、これもまた一種のメロンみたいなもんだと思うのよ、私。むしゃぶり付きたくなる的な意味なんだけど」
そして、その中から聞こえて来る不自然な程に上機嫌の声。
砂交じりの風も合わさって、表現のしようの無い不協和音が響いていた。
ティア達の石化など、目の前の光景に比べればまだ理解が及ぶだけ救いがあるようにも思える。
――聞き間違えであればいい。
だからその時、カノンノは痛切にそう願った。

ディセンダー。万物の祖たる世界樹が遣わした救世主。
遥かな昔、世界全てを蹂躙した戦乱を鎮めた大英雄。
おとぎ話にも素敵な活躍が描かれた、カノンノにとっての憧れの人物。
そんなディセンダーが、石化した仲間の尻に頬擦りを繰り返しているなど。
ましてやその行為に、思いっきり興奮を覚えていようなど、いかに想像力豊かなカノンノでも――
「クロエってば普段はあんなにお硬い癖に……あ、今はもっと固いか。とにかくご覧の通りのけしからんスタイルなんだもの。そりゃむしゃぶり付きたくなるって物よねぇ」
「……あの、ナクリ?」
――解らない。
けしからん? むしゃぶり付く?
カノンノの声などまるで聞こえていないように、石化したクロエに頬擦りをするナクリの口から出てくる言葉の意味が、よく理解できない。
いや、全く意味が解らないという訳ではない。
ナクリという女性に対してカノンノが積み上げてきたイメージと、目の前で繰り広げられている光景。
それらが見事なまでに一致しないのだ。
常に冷静な思考をし、そして実直に行動する。
カノンノが知るディセンダー・ナクリとは、そんな女性だったはずだ。
少なくとも尻がどうしたこうしたなどという話を、頬を紅潮させ、身体をくねらせながら喜色満面でする人物ではない。

「……えっと、ナクリ。聞こえてる?」
「特に尻。あんまりにもぴちぴちしてるもんだから、どれだけ普段から私が触ってみたかったかって話。これが普段は難しいのよねぇ。ほら、私にも体面って物があるし」
引き続き呼びかけてみたが、やはり返事らしい返事は無い。
その代りに聞こえてくるのは、相変わらずの妙な発言と、ぺたぺたと手触りを楽しむように尻に触れる音。
完全に石化している三人とは事情が違うが、これはこれで言い様の無い不安を覚えさせる。
一定のリズムの様な物すら感じられる辺りもまた怪しい。
――えっと。この人、本当はナクリじゃなかったりして
ものすごーく良く似た人が、たまたま偶然、目の前にいるだけだったりして。
うん。それならクロエのお尻にあんな事をしていても納得……ダメダメ、やっぱりおかしくない!?だって女の人同士だよ!?
三人が石化された姿を見た時とは別の意味で、カノンノは混乱し始めていた。
仮に目の前の人物が赤の他人であったとしても、石像が石にされたクロエだという事を知らないとしても。
同じ女性のお尻、それも石になった尻に頬擦りをするなど、カノンノには理解が出来ないのだ。

「正味の話、石化してると素っ裸にマントを引っかけてるとしか見えないのよ。言うならば着エロの極致って奴?」
「……え、石化……!?」
ナクリの口から出たその単語に、混乱していた頭が僅かに冷静さを取り戻した。
――クロエ達が石になっていると知っていて、こんな事をしているの……!?
冷静に考えれば、すぐに出てくる疑問だった。
石化は恐ろしい現象、緊急事態。これグラニデの常識。
そしてナクリは、目の前の石像はクロエが石にされた姿である事を知っている。
ただの石像と勘違いしている訳ではない。
仲間が恐ろしい目に遭っていながら、ナクリはその事実を目の当たりにして、むしろ楽しんでいるのではないか。
とてもじゃないが、ディセンダーのする事だとは思えない。
「ディセンダーは、ただ自分が正しいと思った事をする」
絵本にも書かれていた事を、そっとカノンノは呟いてみた。
「そうだ……そうだよね」
ディセンダーの行動は、それがどんな物であれ最終的には世界を救う。
そうカノンノは信じてきた。
だから、一見した所は奇行しか見えない行為にも、きっと何か深い理由がある。
――話を、ちゃんと聞かなくちゃ。
胸元で拳をぎゅっと握りしめ、大きく息を吸った。
ナクリからきちんと説明をしてもらうのだ。
目の前にいるのがナクリならば、彼女はきっと誠実に答えてくれるに違いない。
心を決めたカノンノは、ナクリの背後に回り込んだ。
ナクリは頬をクロエに密着させているので、正面から話しかけてもカノンノの顔が良く見えそうにないからだ。
「バンエルティアにこれ以上の美尻の持ち主が他にいようか? いや、今考え付く限りはいないッ!断言する、間違いないッ!」
ナクリの発言は敢えて聞き流す。
発言の意図を考えてもキリが無いからだ。

カノンノはそっと、ナクリの肩に手を置いた。
興奮のあまりに不規則な上下運動を繰り返しているので、なかなか狙いが定まらなかったが――
「……う」
「う?」
「うおおおおぁぁあぁわぁーーッ!?」
「きゃあああああッ!?」
カノンノの手が触れた途端、砂漠に悲鳴が二つ木霊した。
ナクリは凄まじい勢いで跳ね上がると、まるで釣りあげられた直後の魚のように砂漠をジタバタとのたうち回った。
小さなカノンノの手は、その勢いの前では簡単に弾かれてしまう。
二度三度と身体を熱砂の上で転がし、何とか体勢を立て直したかと思えば、首をガクガクと不自然に動かしていた。
ヤカンのお湯が沸騰したような音がした。
どうやらそれが、ナクリの呼吸音らしい。
「……あ、えーっと……カノンノ……?」
そこまで来て、ようやくナクリはカノンノの名を呼んだ。
酷い狼狽ぶりだった。
幾らカノンノに気が付かなかったとは言え、ナクリの驚き方は余りにも挙動不審が過ぎる。
どんな巨大な魔物が相手でも臆する事無く大剣で立ち向かう普段の姿とは、頭から爪先まで違っているような気がした。
「……ナクリ、だよね?」
「……あ、はい。私の名前はナクリ。世界樹から来たディセンダーで……」
「……うん、知ってる。改めて自己紹介してもらわなくても大丈夫だよ」
「そ、そうよね」
これは何の面接だ。
行動だけに留まらず、ナクリは発言までもが不審その物だった。
ナクリとカノンノ。二人の間を乾いた風が過ぎ去って行った。

それから間が開く事、約6秒。
二人にとっては数時間にも錯覚できる、余りにも気まずい時間が過ぎた。
「……さ、さっきはビックリさせちゃってごめんね」
「……え、あ、うん。と言うか、ビックリさせたのは私が先だったような」
沈黙を先に破ったのはカノンノだった。
まだ先程の驚きの余韻が残っているようだったが、彼女はいつもと同じようにナクリに対して優しく言葉を掛けてくれた。
「でも、良かった。ナクリが無事でいてくれて」
「え、ええ。お陰さまで。私はこの通り。心配を掛けてしまっていたりしたのよね……」
普段の彼女と比べて、語尾がまだ妙な感じだった。
だが形はどうであれ、ナクリはこうしてカノンノの目の前にいる。
カノンノが思い描いた最悪の結果。
モスコビー砂漠に向かった4人の全員が石化されるという事態だけは避けられた。
それが解っただけでも、カノンノは随分と救われた思いがした。

「一つ、聞きたい事があるんだけど……ナクリ、ちょっといいかな」
「え、ええ。私なら大丈夫。何でも聞いてもらって結構よ……」
カノンノに質問されて答えるナクリだが『結構』の部分、声が裏返っていた。
寝起きのニワトリの首を全力で締め上げたような声だった。
「ティアに、エステルに、クロエ」
「ティア、エステル、クロエ……」
石化された姿を見てきた一人一人の名前を、カノンノは噛み締めるように言った。
それに釣られてか、ナクリも背筋を正しながら復唱する。
「みんなに、何が起こったの?」
決してナクリの奇行が気にならない訳ではなかった。
だが、ナクリの無事は一応だが確認できた。
今は石化されている仲間たちについて話を聞く事が先決だ。
――ふと、クロエの尻に頬擦りを繰り返すナクリの姿がカノンノの脳裏に浮かぶ。
今まで一度も見た事の無い恍惚の表情、そして上ずった声――
それらを一旦は心の引き出しに収め、改めてカノンノはナクリに問いかけた。
「ティアと、エステルと、クロエに何が起こったか、って事よね?」
「そう」
ナクリの顔を、カノンノは真剣な面持ちで覗き込んでいる。
余りにも真っ直ぐな視線だった。
大きな瞳が潤んでいるのがナクリには良く解った。
「……そうね。順を追って話すわ」
「お願い、聞かせて」
ごくりと、二人のどちらかが唾を飲み込む音が聞こえた。
「聞くも辛い話になるわよ」
「それでも、お願い」
カノンノと言葉を交わしている間に、ナクリは次第に落ち着きを取り戻して行ったようだった。
語り口は静かで、視線はしっかりとカノンノに対して向けられている。
いつの間にか、普段のナクリに戻っているようだった。
いや、さっきまでの不審極まる姿のナクリは、カノンノが見た幻覚だったのかも知れない。
過酷な環境の砂漠を数時間に渡って歩き、その末に仲間たちが石化した姿を目の当たりにした訳だ。
肉体と精神、それぞれが弱っていたからこそ、ナクリがありもしない行動を取っているように錯覚してしまったのだと。
うん、そうに違いない。
とりあえずの所は、カノンノはそういう事で納得した。

「……あれは昨日の昼過ぎ、私たちがアクアマリンの原石を採掘している時の事だったわ」
クロエの脚に寄りかかるような姿勢で腰掛け、ナクリは当時の状況を話し始めた。
カノンノもナクリの横に腰掛けて、彼女の話を聞く。
視界の端とは言え、石化しているクロエの姿を見るのはやはり心が痛むが、そこはぐっと堪える事にした。
「全く手付かずの場所があったの。大量の原石が驚くほど簡単に掘り出せたわ。でも……」
「……でも?」
「そこはね、同時にバシリスクの狩場でもあったのよ。気付いた時にはもう遅くて、私たちは数十匹のバシリスクに取り囲まれていた」
「やっぱり、バシリスクの仕業だったんだ……」
「……最初にエステルが石にされたわ。本当に一瞬だった。突然背後から咬み付かれて、それで……」
「そう、なんだ……」
カノンノが相槌を打つと、ナクリは無念そうに唇を強く噛み締めた。
恐らくは、彼女の目の前でエステルが石化されたのだろう。
当時の状況を説明するだけで、その時の光景がナクリの脳裏に再び蘇っているに違いない。
「……気持ち悪い、です」
「えっ?」
「石化される直前、エステルは確かにそう言ったの。あの悲しげな弱々しい声が耳から離れなくて、ね」
素直な表現がエステルらしいなと、カノンノは思った。
バシリスクは咬み付いた牙から毒を注入する事で、相手の身体を石に変えるという。
身体の中を毒が駆け巡る――育ちの良さそうなエステルの事だ。それは想像を絶するほどの不快な感覚だったに違いない。
背中を大きく仰け反らせて石化しているのは、彼女なりに毒の苦痛に耐えようとした結果の様に見えた。

ナクリはそっと視線を動かした。
その先には、苦悶に体を折り曲げた姿勢で石化しているティアの姿がある。
「次に、ティア」
ナクリはティアを指差して話を続けた。
それに促されるように、カノンノも石像と化したティアを見る。
苦痛に身体を激しく折り曲げた姿の石像。改めて見ても、およそ普段のティアとは掛け離れたイメージの姿形だった。
「エステルが石化されたのを見たティアは、譜術でバシリスクを一掃しようとしてくれたの。だけど……」
「だけど?」
ナクリは言葉を詰まらせたが、カノンノの声が呼び水となったようだ。
「だけど……ほんの少しだけ間に合わなかった」
「ほんの少し……悔しかったんだろうね、ティア」
「ええ、詠唱はあと二節程で終わっていたはずよ。ティアがどれだけ悔しかったかは、とても私が想像できるようなレベルじゃないと思う」
――カノンノの脳裏に、ティアの瞳から零れたまま石化した涙が浮かんだ。
それは、決して石化する事への恐怖から流れた物ではない。
自分の力が及ばなかった事、そして何よりも仲間の窮地を救う事が出来なかった事。
それらに対する悔恨の涙、無念の涙だ。
誰に対しても等しく厳しいが、自分に対してはそれ以上に厳しいのがティアと言う女性だ。
石化している今でも、彼女は自分を責め続けているのだろうか。
そう思うと、カノンノは胸が締め付けられるような思いがした。

「それで、最後がクロエ」
ナクリの口調は、話が進むにつれて、どこか淡々とした物になって行った。
エステルとティア。二人が石化した状況を語っている内に、彼女としても気持ちの整理が出来てきたのだろうか。
カノンノは、ナクリを促すように小さく無言で頷いた。
「クロエの戦いぶりは本当に立派だったわ。無数のバシリスクを相手にしても、全く怯まずに戦い続けた。事実、バシリスクの大半を倒したのは彼女なのよ」
そう言われて、カノンノもナクリと同じようにしてクロエの石像を見上げてみた。
「ほら。凛々しい顔、してるでしょ?」
「……うん。本当にクロエらしいよ」
揺るぎ無い闘志に満ちた表情が、そこにはあった。
瞳の消えた眼は単なる凹凸に過ぎないが、カノンノは確かにクロエの射抜くような視線をそこに見たのだ。
視線は眼下のバシリスク――つまり、カノンノが座っている場所に向けて向けられている。
今にも掲げた剣がカノンノのいる位置に向け、凄まじい速度で振り下ろされて来そうだった。
岩の様な堅牢さを備えたバシリスクの鱗も、クロエの放つ高速の斬撃の前では何の役にも立たなかったに違いない。
――そこから先の事は、既に語るまでも無い。
その姿のまま、クロエの時間は止まったのだ。
剣を振り上げた瞬間、彼女も例に洩れずバシリスクの牙を突き立てられた。
クロエの視線は今は何物にも向けられておらず、雄々しく掲げた剣も振り下ろすべき相手を既に失っている。
今カノンノの目の前にいるのは、時間から切り離された憐れな騎士のなれの果てでしかない。
それが、この場所に残された残酷な事実だった。

「……そして、私だけが生き残った」
――ナクリは、一つ大きなため息を吐いた。
それは、三者三様の末路を全て語り終えた事を意味している。
右手で額の汗を拭うナクリの姿は、どこと無く憔悴した様にカノンノには見えた。
「ここで起きた話は、これで終わりよ」
「ありがとう、ナクリ」
そっと、ナクリの肩に手を置いた。
今度はナクリも暴れたりはしなかった。静かに、カノンノの小さな手が触れるのを受け入れた。
「思い出すのも、お話するのも、物凄く辛かったと思う。私のわがままで、また辛い思いをさせてごめんね」
「……いいのよ。カノンノが気にする事じゃない」
そう笑顔で答えるナクリだが、その表情には力が感じられなかった。
顔色が優れない。先程汗を拭った額からは、また大粒の汗が流れ始めている。
無理も無い。
仲間を、それも三人も立て続けに失ったのだ。
全身に大小の亀裂が入った石の身体には、もはや魂の存在など僅かも感じられない。
単なる石の塊と化した骸を一昼夜に渡って眺め続けたナクリの心境は、カノンノには想像が付きかねた。
もしも自分がナクリと同じ立場なら、果たしてここまで冷静さを保つ事が出来ただろうか。
「そっか……」
ナクリに聞かせるでもなく、カノンノは呟いた。
クロエの石像に抱きついていたナクリ。あれは最期の別れの行為だったのだ。
石の身体に僅かに残ったティア達の人としての温もりを、ナクリは自分の身体に刻みつけようとしていたのだと。
カノンノが辿り着いた時にクロエにしがみ付いていたのにも、それならば納得が行く。
クロエの全身を余す事無く抱き締める事。
それがナクリが決めた、彼女なりの弔いだったのだ。

あの時、ナクリが酷く驚いてしまったのは、それだけ彼女が心を研ぎ澄ませて事に当っていたからだろう。
そう、カノンノは考えた。
石の身体に封じられた微かな魂を感じ取るには、それこそ人並み外れた精神統一が必要になるはずだ。
感覚、概念、記憶。
思考と呼ばれる全ての物を、石化した身体に対して僅かなブレも許さずに集中させる。
それはこれ以上無く繊細な行為だったに違いない。
外部からの干渉――それが仮にカノンノの手であったとしても、僅かばかりでも横槍が入れば、それはたちまち意味を成さなくなってしまう。
だからこそ、あの時ナクリはあそこまで狼狽をしていたのだ。
あれはきっと、微かに残ったクロエの魂を感じられなくなる事を恐れての事だったのだと。
「……気のせい、だったんだよね」
「何か、言った?」
「ううん、ちょっと独り言」
それはさて置き、ナクリはクロエの尻に頬擦りをしていたような気もするし、色々と何事か妙な事を言っていたような気もする。
記憶の中には妙な情報も混ざっていたのだが、やっぱりそれは気の迷いだったのだ。
――ディセンダーが、そんな変な事をしたり、言ったりしないもんね。
それが、カノンノが得た結論だった。

「……皆を、連れて帰らないとね」
例え石と化して息絶えた亡骸だったとしても、仲間をこんな荒涼とした世界に置いておけるはずが無い。
せめて三人をバンエルティアに運び込む。そして、バンエルティアの皆の前で三人を正式に弔うのだ。
――認めたくは無い。三人を元に戻せるならば、今すぐにでもそうしたい。
だが、目の前の光景は事実であり、結果だ。
救世主であるディセンダーですら、石化されたティア達を抱き締めるしか無かったという、非情であり、そして悲しい現実が――
「……それじゃ、皆を元に戻しましょうか」
「えっ」
余りにもあっさりと、素っ気無く。
到って当たり前の事をするかの様な発言に、カノンノの思考が瞬時に硬直した。
――今、ナクリは何て?
そんなカノンノを余所に、ナクリはポケットから薬瓶を取り出しながら答える。
「えっ、って……ほら、キュアボトル。それも15本。これでティア達の石化を解きましょうって……」
「あの、え、ちょっと待ってナクリ」
急に混乱した様子を見せたカノンノに、ナクリも動揺の色を隠せない。
「みんな、もう元に戻らないんじゃなかったの? みんな石にされて、もう二度とこのまま……」
「いや、普通に元に戻るけど。キュアボトルで、もう一発よ?」
普通に戻る。もう一発、一発、一発、一発、一発一発一発……
――硬直したカノンノの思考が、またぐるぐると回り始めた。
解らない。ナクリの言ってる事が良く解らない。
皆が永遠にこのまま石化する事になったから、ナクリはああやってお別れをしてたんじゃなかったの?
と言うか、そんな簡単に元に戻るなら、どうしてそのままにしていたの……?
石と化した身体にも最後まで敬意を払う、崇高な意思を持つディセンダー・ナクリ。
カノンノが一生懸命に描いた推察が、音を立てて崩壊して行くような気がした。
「え、あの、それじゃ、ナクリは皆を……石にされたままほったらかしにしてた……って事?」
「はいッ!?」
踏みつぶされたカエルの様な声がする。
クロエの尻に頬擦りをしていたのを見つけられた時のように、再びナクリの表情が激しく崩れた。
切れ長の眼はどんどん見開かれ、脂汗が栓を開いたように流れ始める。
「石にされたティアやエステル、クロエはみんなキュアボトルで簡単に一発で元に戻って、それでナクリは、そのキュアボトルをいっぱい持っていて……!」
「あ、あのねカノンノ。とりあえず私の話を……」
「それなのに、どうしてナクリはみんなを石のままにしていたの!?」
「いや、それはもうほら、胸とか尻とかを弄りまくりたかったとしか……あ、いやいやいやいやッ!」
「え、ええええっ!?」
慌てて訂正したナクリだが、時既に遅し。
ナクリとカノンノ。思えばこの時が二人の間の歯車が、決定的に狂った瞬間だった。
それは正に、坂道を転がる石の如く。

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  1. 2000/01/01(土) 04:00:00|
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ピュグマリオンのジレンマ(5) 性癖暴露10秒前

女性を石化させ、動かないのを良い事に身体を弄る。
モスコビー砂漠に来てやりたかったのはそう言う事だと、ナクリは口に出してしまった。
潜在的に同じような欲求を持つ者がいないとは限らないとは言え、普通なら理解を得るのは難しいと思われる嗜好。
それをカノンノの勢いに押される形で、意図しないとは言え赤裸々に吐露してしまった訳だ。
これを失言と言わずして、何が失言か。
ましてやこれが、グラニデの伝説に名を残した救世主の口から出た物だとは――

あれから一体、どれぐらいの時間が過ぎただろうか。
たぶん、物の数分も経っていない。ひょっとしたら、一分も過ぎていないのかも知れない。
だが、カノンノとナクリがいるこの空間に限定して、時間は凄まじい濃密さを持って流れていた。
その間、何度カノンノは目を瞬いただろうか。
ナクリとの間に言葉は無かった。
カノンノ自身もナクリの発言に呆気に取られていたというのもあるが、問題発言の張本人であるナクリの様子も何だか妙だ。
目を見開き、両手を前に突き出して「いやいやいやいやッ!」と悲鳴を上げた時の姿勢のまま硬直している。
まるで、彼女の周囲だけ時間が止まっているかのようだった。
いや、ひょっとするとカノンノの時間も止まっているのかも知れない。

「……あ、ごめん」
言葉は出た。どうやら、彼女の時間が本当に止まっていた訳ではないらしい。
事実、カノンノの声を聞いたナクリの身体も僅かではあるがピクピクと動いている。
どちらかと言うと、痙攣している、と表現した方が適切に思える有様だったが。
「ナクリ。お話は後で必ず聞くから、先にみんなを元に戻そう?」
『元に戻す』の辺りで、ナクリの身体が反応した。
「いや、いやいやいやッ。ちょっと待って、まだ、まだ早いわ!」
「……まだ早いって。みんなが石化したのっていつ頃だったっけ……?」
「あの、昨日の昼過ぎだけど」
それだけ聞くと、カノンノはキュアボトルを片手に早足で歩き始めた。
「ちょっ……!」
反射的にナクリも駆け出す。
慌てて駆け出したので、何度か砂に足を取られてナクリは盛大に転んだが、今は体裁を気にしている場合ではない。
ほとんど転がるようにしてナクリはカノンノの前に回り込むと、両手を広げて彼女の前に立ち塞がった。
「待って、石化解くのはもうちょっとだけ、もうちょっとだけでいいから待ってッ!」
「こうしている間にも、みんなの身体が完全に石になっちゃうかも知れないんだよ!?」
「大丈夫、大丈夫大丈夫! 絶対にそんな事無いから! 石化の安全性に関しては、ディセンダーの名に掛けて保証するからッ!」
所々の声が裏返りながらも、ナクリは必死にカノンノを制止した。
ディセンダーの名前を妙な担保に使ってしまったが、それも今は些細な問題だ。

ナクリの行動に対して、カノンノは少なからず疑念を抱いている。
この状態で、彼女にティア達の石化を解かせるのは余りにも危険過ぎた。
カノンノの口から石化している三人に、事の一部始終が漏れたりでもしよう物なら、ある意味で世界は終わりだ。
「それじゃあ聞くけど、どうしてみんなの、その……身体を触ったりしていたの?」
「そ、それ、は……」
実にシンプルな、それでいながら返答に窮する質問だった。
あの場面に居合わせた常識ある者なら、抱いて当然の疑問としか言いようがない。
――どうする。
何かもっともらしい理由を捏造して乗り切るか?
いや、それは無理だ。後付けの理由で押し切るにも、ナクリは余りにも本音を暴露し過ぎている。
少しでも論理に矛盾や綻びがあれば、カノンノはすぐさまそこを突いてくるだろう。
そうなれば更に事態は悪化する。
今でも返事するのが精一杯だと言うのに、これ以上カノンノの追及が激しくなるなど、とてもじゃないが耐えきれるとは思えない。
それならば、一体どう答えるのが最善なのだ。

――言い逃れは出来ない、か。
観念したように、ナクリは夜空を見上げて一息を吐いた。
そうだ。ここは変に、言い訳や妙な策を弄するのは得策ではない。
ただ素直に、ありのままの自分の声を伝えるべきなのだ。
嘘偽り無く気持ちを伝えれば、きっとカノンノは解ってくれる。
それだけの強い絆が自分とカノンノの間にはある。
――それに、あるいは。いやいやいや、ひょっとするとひょっとして……
心が平静を取り戻したからだろうか、ナクリの中には、また別の期待が湧き上がりつつあった。

「……解ったわ」
「ナクリ?」
「そうね、言い逃れなんて真似はディセンダーのする事じゃない。きちんと説明をさせてもらう」
そう言うと、ナクリはぽんとカノンノの肩に手を置いた。
「カノンノが言わんとする事も解るわ。私の行為を変に思うのも当然な事よ」
「う、うん」
どこか緊張した面持ちで、カノンノは小さく二度頷いて応える。
「でも、口でどれだけ説明してもきっと伝わらない。だから、カノンノには私に少し付き合って欲しいのよ」
狼狽したり平静を取り戻したり、先程から酷く不安定な姿をナクリは晒している。
だからこそ、カノンノ以上に真っ直ぐな、真摯な眼差しをナクリは返していた。
今の彼女は冷静に話が出来ると理解してもらうには、まずは態度で示すしかない。
「お願い、今から私が見せる物をしっかりと見て。そうすれば、カノンノにもきっと解って貰えると思うから」
言うべき事は言った。これ以上は、言葉を重ねても大した意味は無い。
カノンノの顔を正面から見つめ、静かに彼女からの返答を待つ。

「……わかった。ナクリが、そう言うなら……」
ゆっくりとナクリの顔を見上げながら、カノンノはそう答えた。
「そう、良かったッ!」
「わっ?」
その瞬間、ナクリは顔を激しく綻ばせた。
反射的にカノンノの両手を力の限り握りしめる。
「ちょ、ちょっと、ナクリ!?」
「カノンノならきっと解ってくれると信じていたわっ。じゃあ、早速みんなの所に行きましょう!」
「え、みんな、って……?」
「勿論、石化している三人の事に決まってるじゃない!」
ビシ、という効果音が聞こえてきそうなまでに、ナクリは勢い良くカノンノの背後を指差した。
余りに鋭い指の動きは小さな風を生み、カノンノの髪をふわりと揺らす。

「え、えーっと……?」
「ほら、あっち」
カノンノの反応が芳しくなかったので、立てた人差し指をずいずいとカノンノに近づけた。
それに釣られて、カノンノもぎこちなく首を動かしてナクリの差す方向を見る。
その方向には、既に半日以上に渡って石化し続けているティア達の姿がある。
「それじゃ、誰から見て回りましょうか……うん、そうね。手近な所に立ってるクロエから見て行きましょう」
「手近って、そんな……」
「いいから、行くわよっ」
言うが早いか、ナクリはカノンノの手を取って駆け出した。
「わ、わわわっ!?」
手を引かれたカノンノの身体が、文字通りふわりと宙に浮く。
「ちょっとナクリ!? 今度は一体どうしたの!?」
カノンノの声も、今のナクリには届かないらしい。

「はい、到着ッ!」
ナクリに手を引かれるがままに、カノンノは三度クロエの前にやって来た。
彼女の姿は、最初に発見した時と何ら変わらない。
砂の大地に虚しく剣を振り上げたまま、彼女は依然として石と化した姿を晒している。
「クロエ……」
何度繰り返して見たとしても、決して見慣れる事は有り得ない。
勇壮であるが故に痛々しい姿。命の息吹を失った、石の屍と呼ぶべき姿――
そこで、ぽんとカノンノの背中が押された。

「さあさあさあさあ、クロエをよーく見てみてちょうだい、ほらほら」
「え、あ。うん……」
石化したクロエへの感傷に浸る間もなく、カノンノは現実に引き戻された。
ナクリはここでも笑顔のまま、クロエを手で指し示している。
闘技場の受付嬢みたいな仕草だった。それがまた妙に堂に入っているのも不思議だった。
「あ、もうちょっと近くで見た方が良いわよねー」
声も1オクターブほど高くなっているように聞こえるのも、多分気のせいではないのだろう。
――解らない。こんな姿になったクロエを見て、ナクリは何がそんなに楽しいのだろうか。
それでも促されるがままに、カノンノはクロエを眺めてみた。こうすれば全てが解るのだという、彼女の言い分を信じて。
クロエの頭の天辺から爪先に向かって、ゆっくりと視線を降ろすように、僅かな情報も見逃さないように――

およそ1分経過。冷たい汗がカノンノの額から落ちた。
――どうしよう。全然、わからない……!
言われる通りにクロエを眺めた所で、カノンノにはナクリの言う理由などさっぱり解らなかった。
クロエが可哀想。早く元に戻してあげないと。
頭に浮かぶ感想は、結局そういう憐憫の類に限られてくる。
このクロエの姿をどう見れば、お尻に頬を擦り寄せるという行動に及ぶのか。それもああまで嬉しそうに。
それがカノンノには、全くもって理解が及ばない。及ぶはずが無い。

「どう、解ってもらえたかしら?」
振り返った先には、満面に笑みを浮かべたナクリがいる。
大きく身を乗り出している姿勢からは、カノンノの返答を心待ちにしている事がありありと伝わってくる。
――言えない。全然言ってる意味が解らないなんて、とてもじゃないけど言えない……ッ!
気まずい、とにかく気まずい。
ティア達三人が石化した事も合わせて、いっそこれも悪い夢であってくれたら。
そんな思いまで浮かんできた。
「……あ、もうちょっとだけ見せてもらってもいい、かな……?」
「ええ、時間はたっぷりあるわ。心行くまで見てあげて」
適当に時間を稼いで、もう一度クロエの姿を見る。
気まずい理由は、ナクリに対する解答が浮かばないだけではない。
実の所、クロエにも原因が無くは無いのだ。
もっとも当のクロエ本人は数時間前から石化しているままなのだから、彼女に責任を求めるのは筋違いなのだが。
端正な顔立ちのクロエだが、柳眉を吊り上げて叫ぶ表情には相当な凄味がある。
それもそうだ。
実際に彼女は、自分たちに牙を剥いて襲いかかるバシリスクに対峙し、剣を振り上げた瞬間の姿で石化している。
つまり、グラニデに害を為す魔物と闘っている最中の姿そのまま、という事になる。
表情もそれだけ鬼気迫る物になるのも当然の事と言える。
冷静であるように見えて、意外と直情径行型の気質を持つクロエ。
これまでにもバンエルティアで彼女が怒鳴っている場面をカノンノは何回かは見ているが、今のクロエの表情に浮かぶ凄味は日常生活で見せる物の比ではない。

――私を一体、いつまでこんな姿のまま放置しておくつもりなんだッ!?
延々と眺めている内に、何だかクロエに激しく叱責されているような気分にもなって来る。
奥歯まで見える程に大きく開かれた口。眉間に刻まれた深い皺――
これがいわゆる、無言の圧力という物だろうか。
――何と言う恥辱だ。これ以上は耐えられそうにないッ!
――呆けてないで頼む。早く私を、元の身体に、早く――
叱責やら懇願やら。あらゆるクロエの声が脳内で再生されるようだ。
「……ううう、ごめんねクロエ。もうちょっとだけ辛抱して……」
それだけを呟くのが、カノンノの精一杯だった。
「……そろそろ、解った?」
また、背後からナクリが声を掛けてきた。
機嫌の良さそうな声であるのは先程から変わらないが、少しばかり焦れているような響きもある。
どうやら、これ以上は時間を稼ぐ事は難しそうだ。

「……そう。見ただけじゃ解らなかったのね」
自力で答えに辿り着く事を観念して、カノンノはナクリに正直な所を話した。
「ごめん……なさい」
「いえ、謝る事じゃないわ。これも仕方の無い事だと思う。ひょっとしたら説明無しで解ってもらえるかな、という期待は有ったけどね」
カノンノの返答を心待ちにしていたようなナクリだが、恐らく彼女の意に沿わない回答をカノンノがした所で、別段心証を悪くした様な素振りは見せなかった。
むしろ、何故か得意気にも見える。
「今考えたんだけど、クロエは割と玄人好みしそうな所があるのよね。そんなクロエを説明無しで理解しろ、というのはちょっと不親切だったわ。私こそごめんね」
また妙な言葉が飛び出した。
「それは良いんだけど、あの、玄人好み、って……?」
「いいわ。そこも含めて説明する」
落ち着いた物腰で、ナクリはクロエの石像の前に立った。
「……実を言うとね。こういう事、一度やってみたかったのよ……!」
「やって、みたかった?」
「……ああ、どうしよう。やっぱりちょっと緊張するわね。今までこういう事って、はっきりと人に対して言語化した事ってなかった物だから」
そう口に出しながら、ナクリはクロエの周りを忙しなく二周、三周とぐるぐる回る。
「やっぱり、上から順番に行くのが筋って物よね。それからこう来て……」
その途中で、クロエの身体のあちこちを指差してうんうんと頷く。
何事かを確認しているようだったが、それが何なのかまではカノンノには解らなかった。

「それじゃ、質問するわね。クロエの特徴ってどんな所だとカノンノは思ってる?」
「クロエの……特徴?」
「そう。第一印象で話してくれて構わないわ。勿論、クロエにはオフレコで行くから安心して」
オフレコとはどういう事だ。何を聞き出そうとしているのだ。
疑問は瞬間的に幾つか湧いたが、質問に質問で返すべきではない。
第一印象でいいと言う事だったので、カノンノは無難に、素直に頭に浮かんだクロエの印象を答えてみた。
「……真面目、かな」
「真面目?」
「うん、バンエルティアに来てから、クロエっていつも剣の稽古を欠かした事って無いよね。それにちょっと怒りっぽいのも、それだけクロエが何に対しても真面目に向き合ってるからだって思う……けど」
「うーん……そう言うメンタルな所から入ったかぁ」
苦笑いを浮かべ、ナクリが大きく首を捻る。
「何か、間違った事言ったかな……」
「いいえ、カノンノの答えも間違いの無い事実よ。クロエのメンタリティをよく見抜いているとは思うわ。でも、もっとこう……ストレートな所で答えてもらって良かったのよ」
「ストレートって、言われても……どういう事?」
「ん」
短く唸って、ナクリは再びクロエの額近くに指を付きつけた。
クロエの身体に触れるか触れないかのギリギリの所で指を止めているのは、カノンノの目を少なからず気にしているからだろうか。
「私の指の動きを良く見ていて。この指を……こうして……」
「指を、こうして……?」
ナクリは付き付けた指を、クロエのボディラインをなぞる様に上から下へと動かして行く。
ご丁寧に、胸の辺りはしっかりと指を山なりに動かして乳房の起伏を表現する。
「はい、胸経由で腰まで来た。そこで、今度は回り込んで……」
「回り込むの?」
「そう、回り込む。横から見た方が解りやすいかしら」
正面から動かしていた指の動きを一旦止め、ナクリはクロエの左サイドに回り込んだ。
「お尻がこう、きゅっと出過ぎる事無く出ていて……」
「お尻……」
「そこから最後は脚に沿って、こう!」
「……こう?」
クロエの腰から爪先まで、やはり丁寧にクロエのボディラインを指でトレースした。
「さあ、これでもう解ったでしょう?これ以上無い大ヒントだったかしら」
「え、今のが?」
「そうよ。もう私からは言う事は無い、ってぐらいの特大ヒント」
良く解らないが、カノンノはクロエから物凄い自信を感じた。
大した説明をしてもらってないような気がするのだが、肝心のナクリはこれ以上言葉を尽くす必要など無いと。
伝えるべき所は全てカノンノに伝えたと、そう胸を張っているようにしか見えなかった。
「えっと、あの……」
「うん?」
ナクリの指の動きが指し示している物は唯一つだ。
クロエの身体、正しくは肉付きと言うべきか。表現はとにかくとして、クロエの身体を指し示している事には間違いない。
丹念に鍛え上げられた成果が、衣装の上からも容易に見てとれる身体。
それでありながらも、女性本来のしなやかさまでは決して損なわれていない身体。
剛性と柔軟性が奇跡的なバランスで両立した、見事な完成度を誇る身体――
ナクリが伝えようとしている事は、それしかカノンノには思い当たらなかった。

「えと、クロエの……」
「クロエの、何?」
「プロポーション、とか……?」
「…………そう」
「え?」
「そう、そう、そうそうそう!正にそれよッ!」
「きゃっ!?」
先程の勢いがまだ生ぬるく思える程の勢いで、ナクリはカノンノの手を握りしめた。
握りしめた両手をぶんぶん上下に振りながら、更にナクリは声を弾ませる。
「流石はカノンノ、この私が見込んだだけの事はあったッ! これぞ正に当意即妙以心伝心ッ!」
頬が上気している。眼が潤んでいる。唇は艶々している。
夜の砂漠は冷え込むはずなのに、ナクリの周りだけ昼間の様に気温が上昇しているように感じられる。
明らかにナクリのテンションが頂点に向かおうとしている事だけは解る。
「私は今、とても嬉しいの。なんて言うのかしら、この世界で最初に出会った人が、私と同じ魂を持っていた、とでも言えばいいのかしら!?」
ディセンダーと魂を同じくする。
おとぎ話のディセンダーに憧れていたカノンノにとって、それは本当ならこの上なく嬉しい言葉のはずなのだが。
クロエのプロポーションがどうこう、とかいう話で魂が同じと認定されても正直困る。
というか、なんでそんな大層な話になるんだろう。

「そう、正にカノンノの言う通り!クロエの魅力はメンタル面も勿論の事だけど、やっぱりこのプロポーションにまずは集約されると思うのよッ!」
確かにクロエのプロポーションが良いとは言った。
ほとんど誘導尋問みたいな物だったが、事実は事実だ。
だが、それと石化したクロエに頬擦りするのと、一体何の関係が?
「あの、ナクリ……」
「確かにティアみたいに明らかに特徴が目立つタイプではないわ。だけど、騎士として鍛え上げてきた身体にこそ宿る曲線美。それこそがクロエの最大にして至高の武器ッ!」
カノンノの疑問を遮るように、一方的にナクリは語り続ける。
おまけに、だんだん早口になって来ている。
「美しい形状と絶妙なサイズを備えた胸! くびれがはっきりと見てとれる柳腰! 引き締まりながらもしっかりと丸みのある尻!個々の要素は只でさえ凄まじい破壊力を備えているにも関わらず、そこに留まらないのがクロエという娘なのよッ!」
もう訳が解らない。
この状況でカノンノが解るのは、ナクリがクロエのプロポーションに尋常ならざる興奮を覚えている事ぐらいだった。
「彼女の魅力を加速させる物、それは衣装、言い換えるとタイツ!従前の騎士という概念を根底より覆す、画期的かつ煽情的なこのタイツ!身持ちの固い娘がこんなけしからん衣装を着ていると言うギャップに、私の心は加速するッ!」
口を挟む余地すら感じさせない。
本人が言う通り、ナクリのテンションは凄まじいまでに加速している。加速し過ぎて、既に別次元に足を突っ込んでいる。
「ボディラインがそのまま浮き出た衣装は、こうして石化して色を失う事で身体と一体化しているかのような錯覚を生むわ。それはつまり、服を着ているのに裸像と同様の感触が楽しめると言う事に他ならない!」
高速で並べられていく単語の中、唯一つ『石化』という言葉ははっきりと聞き取れた。

「服を着ていながらも、その上からでも手に取る様に解る曲線美! それは本来ならば一挙動ごとにしなやかに形を変える物のはずなのに、それが石と変わる事で恒常的に」
「……えっと」
「その形状を眺める事が……うん?」
「ごめん、やっぱり、ナクリの言ってる事がわからないよ……」
「……え?」
また、ナクリの顔から血の気が引いた。
石化したクロエについて熱く語っていたのが嘘のように、彼女は口をぽかんと開いたまま動きを止めた。
「クロエが綺麗な体型をしてる、っていうのはわかるよ。そんなクロエが石になったら、やっぱり綺麗な石像になるというのも……」
「あっ、それについてはこれから説明を」
「でもね、だからって石化したままじゃクロエが可哀想だよ。ううん、クロエだけじゃない。ティアもエステルも、みんな」
「え、ええ……」
ナクリの勢いに飲まれて忘れかけていた事を、カノンノは静かに訴えた。
仲間達が石化している。この場面において大切な事実はそれだけだ。
そして、石化は解こうと思えば今すぐにでも解けると言う事も。
それなのに、さっきから一体どれだけ遠回りをしているんだろう。
いつまで、ティアにエステル、クロエを石のままにしておけば良いんだろう。
――納得が出来ない事をこれ以上続ける訳には行かない。たとえ、それがディセンダーの言う事であったとしても。

「……あ、あ、あ。そ、それじゃクロエはこの辺で置いといて。次行きましょう、次……」
「次って……?」
「あ、えっと……じゃあ、あの、エステル辺りで……」
ナクリは忙しなく首を左右させながらそう言うと、石化しているエステルの方へと歩き出した。
つい先程まであれだけ大声を張り上げていたのに、今の彼女の声にはまるで張りという物が無い。
その足取りもカノンノを引っ張っていた時とは違う、何とも頼りの無い物だった。

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ピュグマリオンのジレンマ(6) 悲しき本能と理性の間に

今思えば、誤算は二つあった。
いや、思い上がりと言い換えても良いのかも知れない。
一つはカノンノが不信感を持つ前に、手持ちのキュアボトルでティア達の石化を速やかに解くべきだった事。
確かに痴態を晒してしまったのは拙かったが、それは時間が解決してくれるレベルだ。
現在、確実にグラニデを侵食しつつある『負』との攻防戦。
熾烈さを増して行く戦いの中、こんなマヌケなエピソードはやがて記憶の隅に追いやられていくに違いない。
ここまで状況がこじれなければ、の話ではあるが。
そしてもう一つ。こちらが致命的だった。
冷静に考えれば、どうしてそんな風に考えてしまったのか。
何故あの時、カノンノも自分の嗜好に同調してくれるのでは、などと期待を寄せてしまったのか。

どの位の時間が経過しただろうか。
5分程度かも知れないし、30分位は経過しているのかも知れない。
いずれにしても、ナクリにとっては針のむしろの様な時間が過ぎた。
その間に起きた事については、語るべき事はほとんど無い。

「ええと、その、エステルは唇があんまりにも可愛いんで、もう勢いに任せてキスしてみようか、なんて事を思ったり……」
「石化したまま放っておいて、それからキス……!?」
「……いや、なんでもございません……」
カノンノの表情が引きつっている。
この期に及んで口を滑らせ、カノンノのドン引きに更に拍車を掛けてしまったようだ。
尻を見れば頬擦りし、唇を見ればキスをする。
そういう人物を世間一般で何と呼ぶかぐらいは、ナクリにも把握できた。

石化した女性に対して情愛を抱くという、ナクリの持つ嗜好。
その根底に流れる物を一言で言い表すのは、実際問題として不可能と考えて良い。
対象の人物に対する純粋な好意というストレートな感情から、各部位の肉体的特徴や服装に着眼するフェティッシュな思考。
あるいは石化するに至るまでのシチュエーションを味わうドラマツルギー的な構想力に、石化した際に取っているポーズを愛おしく感じる美意識。
更には年齢層や社会的ポジション、気質、言動、過去の経歴その他諸々に対する各種のコダワリ――
つまりは一人の女性を構成する、ありとあらゆる要素に対する感情が恐るべき高密度で絡みあった、言わば思考の最終集積体だ。
一朝一夕で形成される物ではない。断じてない。
それを僅か一晩で、おまけに即興で全て語ろうとするなど、土台無理な話だったのだ。
そもそもカノンノにはそんな嗜好は無い事ぐらい、最初から解っていたはずなのに。
つまりあれか。クロエの尻に頬擦りをしていたが為に、そこら辺の事も解らなくなるぐらいにテンションが上がってしまっていたのか。

「そ、そう、そうそうそう。あとはティアが残ってたわよね。ティアに関してはこれから説明を」
「……ううん。もう、別に説明してもらわなくてもいいよ」
「え? 説明の必要が無い、と言いますと……!?」
「大体わかったの。ナクリが、ティアに何をしていたかって事」
「え、あ、いや、まだ胸の件に関してはまだ何も言ってないと思うんですが」
「胸?」
「いやいやいや、胸に顔を埋めてたりなんかしてないですッ!」
「……わたしが思ってたよりも、ずっと凄いことしてたんだね……」
ティアについては完全に行動パターンを読まれていただけでなく、更に傷口を自分で勝手に広げた。
要するに、しどろもどろな弁明をナクリはカノンノに繰り広げたという事になる。

全身が石という無機物と化し、行動、思考の一切が完全に停止する。
解除方法は確立されているとは言え、限りなく『死』に近い状態。
石化という現象は、本来はそう言う物である。
その危機的状況に仲間を誘導し、そして見事に石化した姿を思うがままに貪る。
ナクリのそんな行動には、間違いなく倫理的ツッコミ所が存在していた。
それをカノンノから明快に付き付けられたのだ。

ディセンダー。世界樹が遣わした救世主。
カノンノが幼い頃から憧れていたおとぎ話の勇者が、仲間が石化しているのを見て欲情するような感性の持ち主でいいのか――
にわかに湧き上がった疑問は、たちまちナクリの中で罪悪感に姿を変えた。
だが、石像――それも極上レベルの物の胸や尻を貪る事で際限なくヒートアップしていた、生まれ持っての本能の猛りが即座に収まるはずも無かった。
急速に膨れ上がる、ディセンダーとしての罪悪感という名の理性。
溢れるまでに臨界を突破した、石像に対する情愛という名の本能。
ナクリの中で渦巻く両極端な二つの思考は激しくぶつかり合い、彼女を苛んでいたのである。
その結果が、この挙動不審状態だった。
そうして前後不覚に陥ったナクリが、弁解不能なレベルにまで話をこじらせるのに、そう長い時間は掛からなかった。


空を見上げていた。
夜空の星は、いつも通り静かに瞬いている。まだ夜は明けていない。
「びっくりしちゃった。ナクリ、急に走り出して倒れるんだから……」
「え、ええ。度々心配を掛けて、もう何とお詫びを申し上げてよいやらなんでしょうか……」
思い出すだけで嫌な汗が出てくる。
カノンノには自分の嗜好を理解してもらえると高を括っていたナクリは、そのカノンノにドン引きされた事に端を発して、間もなく混乱を来たした。
意味の通らない事をしどろもどろになりながらも呟き続けた挙句、石化しているエステルの胸板に頭を強打して憐れにも昏倒した。
意識が暗転する直前、かつてない程のマヌケな声が漏れたのが妙に記憶に残っている。

ナクリは今、カノンノと背中合わせに座っている。
また何かの弾みでナクリが倒れてしまってもいいように、というカノンノの提案だ。
「私なら大丈夫……多分だけど」
「そう、良かった」
先程までの狂乱が嘘のように、二人の間には静かな時間が流れていた。
「もうちょっと落ち着いたらみんなを元に戻して、バンエルティアに帰ろう?」
「ええ、そうね……」
あんな事が有った直後だと言うのに、カノンノの声はいつもと変わらず優しい。
言葉も一つ一つ、丁寧に選んでくれている印象も受けた。
その優しさが、どうにも居心地が悪かった。
仲間を恣意的に石化させるだけでも相当アレだと言うのに、更に石像と化した仲間に対してアレな言動を繰り返した事までバレた。
どんな顔をしてカノンノに向き合えば良いのか全く解らない今は、こうして背中を向けているだけでも心が休まる気がする。
事実、幾分か動揺は収まっていた。

目が覚めてからというもの、カノンノとは会話らしい会話をしていない。
ナクリがまた混乱して奇行に及ばないよう、彼女なりに配慮してくれているのかも知れなかった。
「ねえ、カノンノ?」
「うん?」
声を掛けてみた。変わらず、優しい口調で返事が返って来る。
「……今日の事。やっぱり、怒ってる?」
「ううん、怒ってなんかないよ。ナクリやみんなが無事でいてくれて、本当に良かったって思ってる。でも……」
「でも、あの、なんでしょう……?」
カノンノの言葉に含む物を感じてしまい、また口調が乱れた。
「でも……やっぱり複雑だよ。ナクリがこんな……こんな変わった趣味の持ち主だった、なんて……」
「……そう」
背中合わせになっているので、カノンノの表情は見えない。
だが、優しい中にも確かに陰りのある声を聞いて、ナクリは確信した。

カノンノは、私に不信感を抱いている。
いや、これはもう不信感だとかいう生易しいレベルに収まる話じゃない。
失望、軽蔑、呆れ。ナクリに対するマイナスのフィーリングが、短い言葉の中から感じ取れるようだった。
カノンノと触れあっている背中に、また冷たい汗が流れた。
だが、もう打つ手は何も無い。既に弁明の時間は終わったのだ。
後はカノンノの言う通りに石化しているティア達を元の身体に戻し、バンエルティアへと帰る。
そして後は、その後は――
そこまで考えようとすると、頭に刺すような痛みが走った。
ふっ、と肩から力が抜ける。
「あっ……ごめん。また変なこと言っちゃったかな……」
ナクリの微妙な変化を察して、カノンノがまた心配そうに声を掛けた。
「いいのよ。事実、だしね……」
応えてはみたものの、自分以外の物が喋っているかのような力の無い声しか出なかった。
反論はしない。いや、できるはずが無い。
カノンノはただ、ありのままの事実を言っているだけだ。
その事実を強固に裏付けたのが他ならぬナクリ自身だとは、笑えない皮肉としか言い様が無い。

それからも、特に何を話するでもなく時間が経過した。
東の空が白み始めている。間も無く、この狂乱の夜が終わるのだ。
「それで、ナクリ……もう落ち着いた?」
「ええ、一応は」
「それじゃ、そろそろ帰ろっか」
「……そうね」
万策は尽きた。もう覚悟を決めるしか無い。
そう思って立ちあがった瞬間、ナクリの視界に何か動く物が目に入った。

淡い桃色の物体が、こちらに向かってごそごそと這い寄って来る。
その動きから、生物である事はすぐに解った。
全身を覆うくすんだ桃色の鱗、槍の様に肥大化した形状の尻尾。
この砂漠に於いてそのような特徴を持つ生物と言えば、考えられる候補は一つしかない。
――バシリスクだ。
そうだ。ここは元よりバシリスクの狩場。
昼間に大きな群れを全滅させてはいるが、そもそも広大なモスコビー砂漠の事。
別の群れに属するバシリスクがこの場に現れても、何の不思議も無い。
バシリスクはほぼ一直線にこちらに向かって来ている。
その様子からして、ナクリとカノンノを獲物と定めているのは明白だ。
幸いにも相手は一匹。他に群れと思われる影は見えない。
それに、得物の大剣はすぐにでも手が届く所に置いてある。
バシリスクがこちらに辿り着くよりも早く、臨戦態勢を取る事は容易だ。
それに今はカノンノも一緒にいる。何かと気まずい状況ではあるが、二人で戦えばバシリスクなど敵ではない。
数秒で容易く粉砕できるだろう。

ちらりと後ろを振り返る。
カノンノはちょうど背を向けている状態なので、まだバシリスクの接近に気付いていない。
愛用の大剣を片手に持ったまま、スカートに付いた砂をパラパラと手で払い落としている。
「カノ……!?」
カノンノを呼ぼうとした途端、ナクリの脳裏に電流が駆け巡った。
疲弊しきっていたはずのナクリの脳細胞が、一つの方法を恐るべき速度で完成させた。
この方法なら、閉塞した状況をひっくり返す事が出来るかも知れない。
いや違う。正しくはこんな方法を取るより他に手が無いと言うべき状況なのだが、今この瞬間を逃せば、状況は今よりも更に悪化する。
だから今はこの手段に賭けるしかない。
――たとえ、それが救世主とはかけ離れた行動であったとしても、

反射的に身体が動いていた。
「カノンノ……ごめん!」
ナクリは一声詫びを入れるやいなや、カノンノの両肩を後ろからがっしりと掴んだ。
「えっ?」
「うおりゃっ!」
そしてカノンノが状況を把握するよりも前に、彼女を地面に向かって投げ飛ばす。
「きゃ……!?」
完全に虚を突かれた彼女は、いとも簡単に尻餅をついて転がった。
手加減はしていたので、特に怪我をしたような様子は無い。
「え、え。ナクリ、いったいどうしたの……ッ!?」
カノンノは突然の出来事に戸惑いの表情を浮かべていたが、瞬時にその表情は凍り付いた。
彼女が転がった先には、バシリスクが眼を血走らせて待ち構えていたからだ。
「き、きゃあああーーーっ!?」
幸運にも目の前に転がって来た獲物の首筋に、バシリスクは躊躇い無くその毒牙を突き立てた。
牙を突き立てられた首を起点に、カノンノの身体が急速に石の塊と化していく。
「ナ……」
首から始まった石化の浸食はすぐに喉へ到達し、カノンノの最後の言葉は無情にも途中で不自然に途切れた。

そうして彼女が完全に石化するまでの一部始終を、ナクリは惚けた様に眺めていた――

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  1. 2000/01/01(土) 02:00:00|
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ピュグマリオンのジレンマ(完) そして、誰も居なくなる

「……そう。そうだったわね」
繋がった。
随分と長い時間を要したが、ようやく全てが繋がった。
じりじりと照り付ける太陽が、自分の意識が現実に戻った事を証明してくれている。
時間の経過とともに周囲に満ちる熱気とは反比例するように、ナクリは至って冷静に思考する事が出来た。

あの後、バシリスクは速攻で始末した。
全力で振り下ろされたナクリの大剣の軌道は、恐らくバシリスクに視覚すらされなかっただろう。
断末魔すら上げる間も無く、バシリスクは身体を真一文字に両断されて絶命した。
だが、グラニデに害を為す魔物を討伐したという実感は無かった。
バシリスクは空腹を満たそうとして狩場に現れたに過ぎないのだ。
そんな飢えた獣にカノンノを差し出したのは、他ならぬナクリ自身だ。
結果として、カノンノは石像と化して彼女の目の前にいる。

「カノンノ」
当然の様に返事は無い。
「……固まってるんだから当たり前よね。なにやってんだか」
尻餅を付いた少女の石像。それが今のカノンノだ。
愛らしい唇、なだらかな起伏を描く胸。小振りな尻は、石化時の引き締まった状態をそのまま保っているに違いない。
加えて力の限りに前に伸ばされた手。
眼の前にいる誰かに助けを求めているというシチュエーションを想像させる所作は、石像に豊かな物語性を添えていた。
フェチ的な観点で考えれば、カノンノも高い完成度の石像として仕上がったと言えるだろう。

「確かに良い出来。ベクトル的にはエステルに近い雰囲気の像だけど、うん、これはこれで初々しいペシミズムが醸し出されて……」
抑揚の無い声で、カノンノ像から感じ取れる要素をナクリは列挙してみた。
意外にもスラスラと言葉が出てくる。
「ああ、やっぱりダメだわ」
だが、カノンノの表情を見た途端に、そういった思考はあっさりと消し飛んでしまう。
彼女の表情が伝える物は一つ。絶望だ。
憧れの存在だった存在に裏切られ、その結果石と化す。
そんな理不尽な運命を唐突に突き付けられた絶望が、余りにも克明に刻み込まれていた。
大きく開いたまま凝固した口から、カノンノが残した悲鳴が今にも再生されそうな錯覚までする。
カノンノは純粋にナクリの身を案じ、そして一人でこんな危険な場所まで来てくれた。
そんな彼女に、自分はこれ程までに悲しい表情をさせてしまったのか――
たとえこれが『最後の手段』だったと言い聞かせても、ナクリの罪悪感は変わらなかった。
むしろ言葉で手厳しく批判された方が、まだ気が楽だったのかも知れない。
「……事がここに至っては、何を考えても詮無い話よね」
昨夜の事を思い出した時点で、これからナクリの取る行動は決まっていた。
まだ『最後の手段』は完了していないのだ。

カノンノからそう遠くない場所に、バシリスクが両断された屍を晒している。
「よっと。案外と簡単に取れるのね、これ」
その牙を、ナクリは得物の大剣で根元からへし折った。
本体から剥ぎ取られた牙は、未だに異様な光沢を放っている。
「うわぁ……何と言うドロドロ加減……うん?」
それが石化毒による物だという事は、すぐに解った。
「うぉ、石化始まるの早ッ!」
ナクリが身に付けているガントレット。それが牙に接している部分が薄っすらと色を失いつつある。
こうして触れているだけでも、バシリスクの牙は触れた物を緩やかに石化しているのだ。
慌てて牙を手近の岩に置いた。
ストーンチェックを装備しないだけで、ここまで違ってくるのか。
「危ない危ない。まだ固まる訳にはちょっと早いのよ」
聞く所によると、バシリスクの石化毒は本体が死亡したとしても長期間に渡って残存するそうだ。
それも、人一人を石化させるだけの毒性を保ったまま。
「にしても、自分で自分を石化する事になるなんてねぇ……まぁ、これも身から出た錆って奴か」
苦笑いを浮かべ、ナクリは呟いた。
バシリスクの牙を自分の身体に突き立て、ナクリ自身をも石化させる。
それが最後の手段の仕上げだった。

ナクリ自身も石化した経験を持つ為に解る事がある。
一つは、石化している間の意識は一切無いという事。
もう一つは、石化した前後の記憶は、酷く曖昧な物になると言う事。
石化前と石化後では、まるで時間が消し飛んだような感覚を受けるのだ。
身体の全て――脳までもが一時的にとは言え石の塊になる訳だから、ある種の記憶障害のような物を併発するのかも知れない。
それが、カノンノまでも石化させた理由だった。
あの狂乱の夜の出来事を、石化解除の際に生じる混乱によってカノンノの記憶から葬り去るのだ。
もちろん上手く行けば、ティア達の記憶もボカす事ができる。
不都合な出来事は忘却の彼方に追いやられ、加えてカノンノの石像までもが追加で堪能できる。
突発的な思い付きだが、それでいて一石二鳥の逆転ホームランという画期的な手段――
いや、いやいや。そうやって正当化するべきではない。都合良く転がり始めた思考を、ナクリは否定した。
これは所詮その場しのぎの姑息な、そして卑劣な忌むべき手段だったのだ。
最善の手段などでは断じてないが、現状を打開するにはこの方法しかなさそうなのも事実だった。

だが同時に、この方法には不確定な要素も多く絡んでくる。
四人分の記憶を操作するという荒技。
仮に成功したとしても、ふとした事から四人が事実に気付いてしまうという可能性も十分に考えられる。
エステルはまだ良い。
元より天然の傾向が強い彼女の事だ。仮に昨日の出来事を思い出したとしても、ゴリ押しでごまかし切れる自信はある。
まず問題になるのがティアとクロエの二人。
それぞれボケた点も無くはないが、基本的には聡明な女性には間違いない。
僅かな穴に気が付いてしまえば、彼女たちがそこから真実に辿り着く事はそう難しく無いだろう。
そして何よりもカノンノだ。
この場は巧く取り繕ったとしても、彼女があの夜の事を思い出してしまえば、更にカノンノを傷つける事になってしまう。
それだけは、絶対に阻止しなければならない。
その為には、より確実に記憶の混乱を引き起こす必要があった。
ティア達はナクリが倒される場面を見る事無く石化した。
当然、カノンノがやって来た事など彼女たちは知るはずはない。
対するカノンノは、自分を実質的に石化させたのはナクリだと認識している。
それと同時に、バシリスクなどナクリの敵では無い事をカノンノは良く知っている。
この前提をダイナミックに覆すのだ。

尻餅をついたまま石化しているカノンノ。
彼女はティア達からすれば、余りにも唐突に現れたように感じられるはずだ。
そして、カノンノからすれば『絶対に石化などするはずが無い』ナクリ。
本来ならばそこにいない人物、そして石化するはずのない人物までもが石化していたとしたら。
それは当事者たちの時系列に関する認識を、激しく揺さぶる事になるのではないだろうか。
――確証は無いが、試してみる価値はあった。

「よし……書き洩らしはないわよね、多分」
一枚のメモ用紙を手にし、ナクリはその内容を何度も読み返した。
ティアの胸の圧倒的な心地良さ、クロエのボディラインから滲み出る色香、エステルの唇に触れた感触――
その他諸々の三人を弄り倒した際の感想が、数枚に渡って実に詳細に書き込まれている。
何しろ自分もこれから石になるのだ。解除された時の記憶の混乱で、石像を弄っていた事を忘れてしまうとも限らない。
「あの感覚を忘れてしまうのは勿体無いのよね……それに」
性癖が赤裸々に書かれたメモ用紙、その締めの一文をしっかりと確認する。
石像の感想以上に、決してナクリが忘れてはならない事がそこには書かれていた。
「さて、と」
事前にしておくべき事は全て終わった。岩の上に置いたバシリスクの牙を再び手に取る。
ガントレット越しではあるが、石化の毒がじわじわと体内に染み入って来るのが伝わって来た。
「それじゃ、私もそろそろ腹を括る事にしますか……!」
深く、呼吸を整えた。

石化するならカノンノの傍だと決めていた。
解除時の混乱を更に効果的にするという理由もあるが、何よりの理由は――
「パンツ、丸見えになってるじゃないの」
悪いとは思いながらも、ナクリは薄く笑った。
カノンノは不幸にも、股を大きく開いた状態で石化していた。
当然、スカートの中の下着までもが、そっくりそのまま石の彫刻と化している。
「……あの状況で隠す余裕なんて、ある訳ないわよね。だいたい石化が怖くない人なんて、一人か二人だもの」
これでは元の姿に戻った瞬間に、カノンノが恥ずかしい思いをするだけだ。
その辺りはナクリもわきまえているつもりだった。
両膝を地面に落とし、正面からカノンノの身体に覆い被さる様に抱き締めた。
これでいい。このまま自分が石になれば、ちょうど良い具合にスカートの中身を隠す事が出来る。
彼女の思いを自分は一度裏切ったのだ。
その上で赤っ恥をかかせるなど、断じてディセンダーの、いや、一つの人格としてする事ではない。
これは今のナクリに出来る、精一杯の罪滅ぼしなのだ。

「ごめんね。それから……」
メモ用紙に記した最後の一文。
決して忘れまいと書き残した、カノンノに対する謝罪の言葉。
胸にしまっておくつもりだった言葉が、素直に声に出た。
石化しているカノンノに、その声は絶対に届かない。
そうだとしても、これだけは直接声に出して伝えずにはいられなかった。
「……ありがとう」
躊躇う事無く、ナクリは自分の首筋にバシリスクの牙を突き立てた。
不思議な事に痛みは無い。どうやら、石化毒は麻酔の役割も果たしているらしい。
「う……ぐッ!?」
その僅か数秒後、手で触れた時とは比べ物にならない不快感が一気に身体の中を駆け巡った。
毒が凄まじい速度で浸蝕し、ナクリの身体が内部から石化を始めている。
「こ、こ、コレ、やっぱ、気持ち悪……ッ!」
思わず苦悶の声が漏れそうになったが、必死になって飲み込んだ。
自らを石化させるのは、既にカノンノ達の記憶を混乱させる事だけが目的ではなくなっていた。
これは、けじめだ。
少なくともカノンノと同程度に、自分は石化の恐怖と苦痛を受けなければならない。
それが、ディセンダーとしてナクリが下した選択だった。
「ぅ、あ……」
間も無くして、口内が石化した。
牙を刺した場所が脳に近い場所のせいだろうか、意識が薄れて行くのも早い様だ。
あと数秒もすれば、恐らく完全に全身が石化するのだろう。

だが、不安は一切無かった。
自分にはアドリビトムという帰るべき場所がある。
このグラニデで得た仲間たちなら、必ず自分達を見つけ出してくれるに違いない。
そんな揺るぎの無い確信がナクリには有った。

今はその仲間を信じ、しばしの間の眠りに就こう。
そして眼が覚めたら、いつかカノンノ達に今日の出来事を正面から謝るのだ。
その時は絶対に間違ったりなどしない。だから今は、少しばかりの猶予期間を与えて欲しい。
必ず白黒は付ける。それが、自分が正しいと決めた事なのだから――
意識が消失する直前、久しぶりにディセンダーらしい事を考えられたような気がした。

――あ、どうせなら、キスして石化しとけば良かった、か……
最後に少し、後悔した。

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石化に惹かれて早数年。
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